■No.09175「これがあたしの人生?」 GM:星空めてお 担当マスター:暁藤丸  このリアクションは選択肢170を選んだ人の内 、一部の方に送られています。 ────────────────────── 《前回までのあらすじ》  唯一の家族を失い、己れの境遇を重ね合わせたプ リズナーも守ることかなわず、孤独な遍歴を続ける ヴァレリヤ・ハチャトゥリアン。L5コロニー、コ ート・ダジュールでの短いバカンスで、自分を心か ら想う人々と触れ合い、なにものにも代えられぬ大 切思い出を共有してゆくうちに、徐々に彼女はその 頑なだった心を開いてゆく。仲間を信頼することを 覚えたヴァレリヤとその一行だったが、『宇宙海賊 船団般若丸』に拿捕され、後に共にデーモン・ラウ ルの元へと向かうことになるのだった。 「真理、海賊船の様子はわかるか?」  見た目にも派手なオレンジ色のバンダナを巻き直 しながら、アタランテ改級宇宙船『グングニル』の 艦長、チャーリィ・フォックストロット女史は、傍 らでコンソールを軽快に叩いている蒼空寺真理に問 うた。真理はその細い指の動きを止めると、艦長に 向き直り、静かに首を振る。 「ううん、まだ。だけど、彼らは機構軍にはち合わ せしないように迂回コースを取っている筈だわ。も しそうなら、L4に到達する前に他のヴァレリヤ救 出WGとの連携を取って、戦力を結集した後、海賊 を叩くことが可能になる。ただし、彼らに無駄な損 耗を回避するだけの知恵があれば、の話だけど」  真理の言葉に、チャーリィはその凛とした面差し を一瞬ほころばせた。 「ふふっ。そうあることを望みたいものだね。私た ちは、この船は、負ける訳にはいかないから」  チャーリィは己れの華奢な右手を見る。彼女の浅 黒い肌には、頭に巻いたものと同じ色のバンダナが 巻かれていた。その下に隠れているのは、銀色の手 錠。そう、もし、この船が海賊船に拿捕されるよう なことがあれば、チャーリィはこの手錠の一端をキ ャプテンシートの把手に括り付け、自沈するつもり なのだ。艦長としての、そして、火星に残った唯一 のアタランテ改を無断借用した者としての責任を果 たすために。 「チャーリィ艦長……」  艦内が、しんと静かになる。カトラ・ヴァラムは 何か言おうとしたが、やめた。いざというときに行 動で示せば良い。そう考えたから。 『……知恵があるか無いかは別として、奴ら、迂回 コースは取らねぇみたいだぜ』  突如、静寂を破ったのは通信回線越しのキーノゥ ・ドルバックの声。わりと神妙な顔で艦長を見つめ ていた鈴木林は、突然のことに「うひゃあ」と情け ない声を出した。負傷者が出るまで、医者である彼 女の仕事はない。すっかり油断していた。 「どういうことだ? どうしてわかる?」  と、ユーゴー・ウィゴーはそこまで言って、キー ノゥの自信に満ちた言葉の理由を悟った。 「ああ、そうか」ぽんと手を叩く。 「ばーか」  そっぽを向きながら、真理。ユーゴーはじろりと 真理を見て、それから続けた。 「あんた、そう言えばネイバーが海賊船に居るんだ ったっけな」 『そう言うこった。紗久良によると、海賊船団は電 子戦用に特化した宇宙船を先頭にして、哨戒しなが ら真っすぐL4に向かってるらしい。余程自信があ るのか……あるいはローザとヴァレリヤが乗ってい るからなのか……』  ローザ・ルクセンブルクは現在でもヴァレリヤ捕 獲部隊の隊長である。また、デーモン・ラウルはヴ ァレリヤ奪取にあたり、ヴァレリヤの生存を第一条 件としているのだ。防御艦隊としても、この二人の 乗っている海賊船に砲門を向けることはできまい。 「キーノゥさん。ヴァレリヤさんの容態はどうです かぁ?」  ぽや〜んとした相変わらずの表情で、林が問う。 『ううん? 待てよ……何度か体調は悪くなったそ うだが、今は小康状態を保ってるようだ。この調子 だと、奴ら、急加速もままならないはずだ。紗久良 によると、海賊は、ヴァレリヤを丁重に扱ってるら しいしな』  キーノゥの言葉が終わった、その時。ホロ・ウイ ンドゥの端に通信入電を示す赤いメッセージがけた たましい点滅を伴って現れた。最重要コード。送信 主は───フェデレーション代表、アントニオ・ビ アンキ! 「ついに来たわね」  チャーリィはごくりと唾を飲む。  手錠が小さな音を立てた。      @     @     @     『まだ間に合う』  きっぱりとそう言ったモニターの中のビアンキは、 ほんの少しだけやつれていた。 『諸君のアタランテ改を火星宙域にまで戻して欲し い。そこからなら、まだ間に合うんだ』  ビアンキの声は平静を保っていた。彼は怒るでも、 慌てるでもなく、ただ、静かに、チャーリィたちに 向かって語りかけていた。火星と彼らを隔てるタイ ムラグの間に、チャーリィは姿勢を正し、発すべき 言葉を頭のなかで組み立てる。 「申し訳ありません、ビアンキ代表。現在、我々の しているコトがフェデレーションに対する横紙破り であること、いや、立派な犯罪行為であることは、 十分に承知しています。ですが、我々WGは現在、 緊急の救助要請を受けています。これを見過ごすわ けにはいきません。どうか、分かってください」  チャーリィは心の中の罪悪感を打ち消すためか、 努めて静かに訴える。ビアンキは首を振った。 『私だって、救助要請を見過ごせとは言わないよ。 だが、君たちのやろうとしていることにアタランテ 改を使わなければならないという理由は無いはずだ。 それに、その船の装備はとても戦闘に耐えられるも のではないだろう。元々連絡艇なのだから』 「そうはいっても、この船の足の速さは必要だぜ。 いわゆる、いい女をオトすには車にも気を使わなけ ればならないって奴ですよ。わかるでしょう? ビ アンキ代表」  コンソールに足を放り出し、液晶紙のペイパーバ ックを読んでいた神道寺龍威が、ざっくばらんな調 子でビアンキに言う。  時差のために、じれるような間が空く。 『……女性を口説くのに高級車が必要だという論理 は私にはちょっと理解しかねるな。だが、その船の スピードが一番欲しいのは我々なんだ。現在、火星 とフォボス周辺に不穏な動きがある。それも、とび っきりに危険な奴が、だ。非常用連絡機が絶対不可 欠な状況だということは、君たちにも、いや、救助 WGの君たちならば一番よくわかるのではないだろ うか?』  龍威はつまらなさそうな顔をしてペイパーバック にアナ・ビジョンを持ったエングラムを貫通させる。  ビアンキはデータを送った。火星の保有する、使 用できる全艦艇のリストを。そこには、アタランテ 改級はおろか、それに匹敵する性能を持つ艦艇の名 前は無かった。殆どが水星、シルマリルの決戦に向 かっているのだ。しかし、チャーリィはリストに目 を通して、なお、首を縦に振ることはなかった。 「無理や無茶は全て承知しています。ですが、我々 にとっての必要は、今のこの状況なのです。必要が 生じれば、組織が創発される……それがフェデレー ションの理念だったはず。我々の現状が理解して頂 けないのであれば、私は、現在のフェデレーション は末期の動脈硬化に陥っていると判断せざるを得ま せんが……」  ビアンキは、無言で首を振った。 「では、私は、フェデレーションを離脱します。安 心してください、事が終わればこの船は無傷でお返 しします」 「ちょっと待った。俺も抜けるわ。何も、チャーリ ィひとりを罪人にゃあしねえぜ。そんな細っせえ首 よりも、俺の首の方が切りでもあるだろうからな」 自分の太い首を手刀でぽんぽんと叩きながら、ヴァ ラム。「価値と用法を心得ている者が使うのは、当 然のことだ。盗人猛々しいと言われちゃあ、返す言 葉の無えこと甚だしいがな」 『そういう問題じゃあないんだ。アタランテ改を最 も必要としている者に、確実に供給する、それが一 番重要なことなんだ。後になってどうこうしても、 返ってこない物もある…………ううっ』  ビアンキはこめかみを押さえ、顔を伏せた。荒い 呼吸音がノイズのように音声情報に混じる。 「残念です。ビアンキ代表」そこでチャーリィは真 理にちらりと目配せをした。待ってましたとばかり に真理は素早くコンソールに指を滑らしてゆく。襲 撃警報が鳴った。「どうやら時間も無いようです。 代表の認可がいただけないのでしたら、『この、化 石頭!!』と言わせていただき、勝手にやらせても らうことにします」 (回線を切断しますが、いいですよね?)  真理の小声の質問に、チャーリィは親指で返答した。  刹那、モニターからビアンキの映像は消えた。  チャーリィは「ふぅ」と息をつき、船内の仲間た ちを見渡した。 「貧乏クジを引いてばっかりだな、我々は。これで とうとう犯罪者だ」 「まぁ、それが俺たちの得意技だからな。理屈なん ざ関係ねぇ。意地とプライドの問題だ。そうだろ?」  ユーゴーが生真面目な顔で言うと、チャーリィは ふっと優しい笑顔になった。      @     @     @      一方。  追われる側となった般若丸たちは、キーノゥがネ イバーリンクによって探知した通り、L4に向けて 一直線に移動していた。とはいえ、機構軍の巡察艇 からは巧みにその姿を隠していた。何しろ、彼らの “目”は、機構軍のそれよりも高性能なのだから。 「どうしたのよキャプテン! また逃げるの? 先 制発見、先制撃破! やっちゃいましょうよ!」  愛機『純麗』のコックピットで、神室麗佳は集音 装置に向かって叫ぶように言った。 『駄目。客人の身体に障るようなコトはできない。 いわゆるひとつの渡世の義理。あかぎのやまも今宵 限りってやつにゃ』  キャプテン、般若丸はきっぱりと応える。戦闘時 には乱数加速や急反転など、乗員に過度のGがかか る場面が多い。戦闘用にカスタマイズされた彼らの 船ともなれば尚更のことである。麗佳はつまらなさ そうにため息をつきながらも、航法制御システムを 通常モードに戻した。 「んもう、折角のチャンスなのにぃ!」  さらさらの黒髪をいじりつつ、モニターを見る。 電子戦装備を満載した僚艦『KOMEDAWARA』 からのデータは、L4コロニー周辺の巡察艇の数を ほぼ正確に表示していた。その数は約20。  少なすぎる。  鳴上ツムギの懸念していたような巨大兵器などが 配備されているのなら話は別だが、それにしたって 少なすぎる。 「これじゃあ、アレを使う必要なんて無いかもね…… つっまんないの」      @     @     @      麗佳から後方数キロの地点。  般若丸たちの乗る旗艦は、若いながらも腕の立つ パイロット、藤原真琴の手によって確実にL4コロ ニーへと近付きつつあった。  その傍らでは、大宇宙にたなびく大漁旗も勇まし く、ロベール・ギスカールが遠隔操縦で操っている 宇宙船が寄り添うようにして並走している。 「あれは何なの?」  窓から見えるその一種異様な光景を見て、怪訝そ うに問うのは、ヴァレリヤ・ハチャトゥリアン。 「宇宙なのに旗がたなびいてるってのはいかにも怪 しすぎると思うんだけど、それは私の見識が狭いか らなのかしら?」 「その怪しさがいいんだ。あのフネは囮に使うから ね。目立った方が都合がいいにゃ」  答える般若丸は一見リラックスした様子でリクラ イニングシートに身を預け、パック焙じ茶をすすっ ていたが、その目は真っすぐに船外モニターを睨み つけていた。トレードマークとなっている和風の鎧 を模した戦闘服も外してはいたが、得物の木刀だけ は決して手放さない。 「で、あたしをクローン施設まで運んで、あなたた ちはそれでいいの? 厄介事だけをしょっちゃった んじゃない?」  窓から視線を外し、ヴァレリヤは船内を見る。そ の動きをトレースして、長い、長い金髪が大きく揺 らいだ。ヴァレリヤの身長はさらに伸び続けていた。 今では、デーモン・ラウルの肩ぐらいにまでは伸び ているだろうか。勿論、身体付きの方だって、図ら ずも先月彼女が言ったとおりのスタイルに限りなく 近付いていた。 「ま、そうかもね。しかし、僕らは僕らの欲望とさ さやかな良心とによって動いてるにゃ。クローン施 設で、あんたたちのレゾナンスを消滅させる算段が 立てば、僕らはそれでいいにゃあ」  般若丸はオパールライスから手に入れた米で作ら れたおにぎりをぱくついた。 「欲望?」 「そう。この般若丸には夢があるにゃ。宇宙開発機 構軍にも属さず、勿論、フェデレーションにも属さ ない、海賊の海賊による海賊のための国家『バイレ ーツ』を建国するという夢がね」 「夢……夢かぁ。あたしはそんなモノ、見たことも ないわ。もう見たいとも思わない。けれど、あんた たちの見る夢の中の一部に、あたしがいたって、い いよね。一緒に夢を見ても、いいかも知れないね」  ヴァレリヤはちらりとライフモニターを見た。色 が黄色っぽくなっている。小さな警告メッセージは 体内循環器系と体温の微妙な上昇を示していた。 「……泣き言は嫌いだにゃ。でも、僕らはレゾナン スを滅ぼすために、クローン施設であんたのDNA を書き換えるつもりでいる。もしかすると、あんた のその異常な成長や、短い寿命も解決するかもしれ ない」  般若丸がそう言った途端、席を蹴って立ち上がっ た者がいる。藍澤千尋だ。 「待てよ。そんな強引な延命措置で、ヴァレリヤの 生命は保障できるのか!?」 「さあ? ヴァレリヤの延命はあくまでついでにゃ あ。僕らはレゾナンスを無くして、不埒な海賊を子 飼いにしてる機構軍に痛い目を見せてやるだけにゃ」 般若丸は表情を変えずに言い放つ。「まぁ、ヴァレ リヤが死ぬような結果はなるべく選ばないようにし たいとは思ってるよ。ほんの少し、ね」 「……じゃあ余計なことはするな。病状が悪化した ら医者に任せた方がいい。無理な延命はそれこそ彼 女のためにならないんだ。余計なことはせずに、ラ ウルの処へ連れていくべきなんだ。そうだろ、ヴァ レリ……」  千尋はくるり振り返って後方に居るはずのヴァレ リヤの同意を求めたが、ヴァレリヤは既にどこかへ 行ってしまっていた。      @     @     @     「ヴァレリヤ。あんまり出歩いちゃ駄目。また体調 が悪化するか……」  半ば反射的にヴァレリヤの額に触った氷月紗久良 は、その手に異常な温度を感じて、ほんの少し、ほ んの少しだけ眉をしかめた。 「また熱……宇宙船の中は比較的大丈夫だと思った のに……」  紗久良の言う通り、宇宙船の内部は清潔に保たれ ている。元より宇宙船の中は細菌が繁殖しにくい。 比較的汚れている乗員スペースは、デーモン・ラウ ルの秘書官から海賊の小間使いに身を落としたロー ザ・ルクセンブルクによって徹底的に雑菌の処理が 行なわれていた。紗久良のデータでは、このレベル であれば、ヴァレリヤの僅かな免疫力であっても、 充分抵抗できるはずだった。  しかし、今、目の前のヴァレリヤは……。 「大丈夫よ、紗久良。まだ、この程度じゃ、死ねな いわ。あいつに……あいつに会うまでは!」  ヴァレリヤは鋭く艦首方向をねめつけた。だが、 その瞳の奥に、かすかな不安の色が隠れていたのを、 紗久良は見逃さなかった。 「あっ、紗久良さん、ヴァレリヤの様子はどうです か?」  扉を開けて入ってきたのは、時田まゆ。手には般 若丸から配られたおにぎりと、柑橘類の入った篭が ぶら下げられていた。紗久良はちらりとヴァレリヤ を見て、逡巡して、決意して、言った。 「ヴァレリヤの身体は今なお良くなっていないわ。 むしろ、悪くなってる。やっぱり、特殊な処置をし ない限り、ヴァレリヤの身体は維持できないようね」  紗久良の言葉を、ヴァレリヤはさらりと受け止め た。そして、にっこりと笑う。 「あたしを信じてくれて、ありがと」 「……こちらこそ、ヴァレリヤ」  紗久良も静かに微笑む。 「ところで、まゆ、そのライムは何?」  まゆの篭の中を目敏く覗き、不審そうに、ヴァレ リヤ。 「海賊の人たちがくれたのよ。ヴァレリヤ、酸っぱ いものが欲しくなってきたんじゃないか、って」 「はぁ?」  ヴァレリヤは不思議そうな顔になって、暫くの間、 考え込む。そうこうしているうちに、開いたままの 扉の向こうを、水原優が通り過ぎた。優は何やら棒 状の物を持って、何事か考え込んでいる様子。その 顔を見て、ヴァレリヤは「あっ」と小さく声を上げ た。たちまち頬を紅潮させる。 「……お、お気遣いは嬉しいけれど……大丈夫、あ たしも避妊の仕方くらい知ってるから……それに、 あたしに子供が産めるわけ……ないし」  それきり、俯いた。 「……そうよね。ごめん、ヴァレリヤ」 「ううん、まゆが謝る必要なんてない! だけど、 あたしが、優を大切に思ってるって、好きだってこ とに変わりは……ないから」  ヴァレリヤは、ついさっき優の通り過ぎた廊下を 見つめ続けた。      @     @     @     「さあさ、さっさとお働きなさい、小間使いさん」  電子戦艦をナビゲート中の鳴上ツムギに代わり、 ローザ・ルクセンブルクの監視役にはレア・ファー シネートがついていた。 「はいはい、了解しましたー」  モップを片手に、ローザは船内を忙しなく走り回 る。紺色のメイド服に身を包んだローザは、表面上 はにこにこと般若丸たちの言うことを聞いてはいた が、その心の奥底には、屈辱と怒りとがぐるぐるぐ るぐると渦を巻いていた。 「なかなか忠実でよろしい」  レアは満足気に言うが、油断はしていない。くね くねしているように見せかけつつ、要所要所ではち ゃんとローザにちょっかいを出すなどして、行動に 制限を掛けていた。 (……そうはいかないわ。チャンスは必ず来る。そ う、『お祭り』が始まるのよ)      @     @     @      般若丸のエングラムが不吉な光を放ったのと、ツ ムギがレーダーに驚異的な速度で船団に向かって来 る船影を見つけたのは、ほぼ同時だった。  素早く、般若丸は船内に警告を飛ばす。般若丸の 脳裏には、幾本もの光条の中、今まさに旗艦と交錯 せんとするアタランテ改の鼻っ柱が“見えて”いた。 フォーサイトの能力だ。 「総員、警戒体制だにゃ! ツムギ、船影の予想航 路を算出ッ!」 『する必要ないよ。直撃コースだね、これは』  ツムギは冷静に旗艦のモニターへデータを転送す る。敵船の数はさらに増えつつあった。 「戦闘準備! 白兵戦、用意にゃあ!」 「了解だ、キャプテン」  南雲双拳が両手をぽきぽきと鳴らす。 「般若丸の皆さん、ヴァレリヤの容態がまた悪化し 始めたの! 今、戦闘は待って!」  急加速に耐えるべく、壁の手摺りを掴み、紗久良 が言う。だが、般若丸は即座に紗久良の提案を却下 した。 「駄目にゃ。手向かう者には容赦はしない。命まで は取らないけれど、全力で、やるッ!」 「大丈夫、なるべく静かに動かすから。アタイだっ て、生き長らえたら、ヴァレちゃんと友達になりた いもん!」  心配する紗久良に、操縦席の真琴は力強く言った。 目の前にアタランテ改が迫る。      @     @     @      両船の交錯は一瞬だった。般若丸の旗艦に僅かな がらも損害を与えた後、アタランテ改『グングニル』 は大きくカーヴを描きながら、さらに般若丸たちに 襲いかかる。だが、船団からもスー・ヘイロンの 『飛龍』や、麗佳の『純麗』、ウェーバー・W・ワ イルダーの『ガイア』などが、迎撃に当たる。  一方、WG側もさらなる増援の到着を計算しての 作戦だった。戦闘開始から間もなく、数隻が到着。 戦闘はさらに混沌としてゆく。 「再接近します! 距離2000。味方機『スレイ プニル』号との連携、敵艦確認、ミサイル! 至近 、天頂方向から!」  織田愛美とポゼッショナーで同調し、通称『おだ ・まりシスターズ』と化した真理が凄まじい速さで 状況を報告する。しかし、これらの対応は既に真理 によってなされていた。高速思考状態の賜物である。 真理の得た情報を愛美にパス。愛美が得意分野のシ ステム管理で処理して、真理にリターン。そして真 理がグングニルの動きを的確に制御。結果、グング ニルはテュフォン・エイフィールドの放った無数の ミサイルとの驚異的な相対速度の中をたった一発だ けのダメージでくぐり抜けた。 「砲撃ッ!」と、チャーリィ。 「わかってるよ!」と、神道寺。狙いすましてトリ ガーを引く。二本の光条が般若丸の外装をひっぺが した。 「よし! ヴァレリヤ嬢のキスはいただきだな」  鼻の頭を親指で擦りながら、神道寺は言う。 「龍威、まだだ! 海賊船の機動力を奪うには至っ ていないぞ! 来る!」  有須川ミチルが言った瞬間、グングニルに衝撃が 走った。天頂方向からスー・ヘイロンの放ったレー ザーがグングニルを貫いたのだ。ややあって、爆音。 艦内に非常警報が響き渡る。 「くそぅっ! 武器架を!」ユーゴー、悔しそうに。 「だが、向こうだって状況は変わらない。変わらな いんだ!」      @     @     @      般若丸旗艦はさらに酷い状況だった。般若丸がせ わしなくフォーサイトによる状況予測をし続けなけ れば、彼らはとうの昔に機関部を狙われて行動不能 に陥っていただろう。 「このままじゃあ、やられるにゃ。レア、何か良い チエは無いか」 「……現在位置、結構、コロニーに近いわね。機構 軍の巡察艇も数隻いる。コロニーはともかく、巡察 艇までは彼らには感知できないはず。巡察艇を彼ら にぶつけ、その隙に逃げ切りましょう。戦闘とコロ ニー上陸作戦を平行して行なうことになるけど」  レーダーマップを見ながら、うわごとのようにレ アが呟く。的確だ。しかも海賊らしい。般若丸は頷 いた。 「そういえば、客人たちは?」 『ヴァレリヤなら、今は落ち着いてるわ』  コムニーから、紗久良の声。船内映像がモニター の端に出現する。ソファーの上で青白い顔をして眠 るヴァレリヤの手を、優が懸命に握り締めていた。 「ふふ。仲のいいことね」 「ははは、全く。仲良きコトは美しきカナ。……と、 言って流せるほど、ボクも落ち着いた年齢じゃない んだけどにゃあ」  般若丸がうなだれた時、その仲睦まじい映像が消 え、モニターいっぱいに、立派な髭を生やした男の 映像が現れた。 『久しぶりだね、レア。それに、ローザ』      @     @     @     『私はキャプテン・レッド。いや、君たちの前で仮 の名前を騙る必要はあるまい。バンツー級『黄金の 栄光』号船長、テュルゴー・ウィゴーだ』 「ウィゴー、なんであなたがここに? セラスにい たはずじゃあ……」 『我々はキーノゥ・ドルバック氏の要請を受け、ヴ ァレリヤ嬢の救助に来た。どうかね? 我々とても 荒事は望むところではない。ヴァレリヤ嬢を渡して くれると嬉しいのだが……』 「あたしは嫌よ」  般若丸が答えるより早く、扉の向こうから、ヴァ レリヤが答えた。扉が開く。相変わらず真っ青な顔 色のヴァレリヤは、優の肩を借りて、ようやっと立 っているような状態だった。 「なんでみんな戦うのよ? ラウルに命令されたか ら? そんな訳ないよね。だって、ローザや紗久良 はあたしに手を貸してくれるって言ったわ。般若丸 たちだってそう。キーノゥの依頼を受けたからって、 戦う理由なんてないはずよ!」 「違うわ、ヴァレリヤ」答えたのはレア。「あなた の手助けをするのは事実よ。だから、わたしたちは 戦う。あなたをコロニーに輸送するために。この世 の中は手を汚さずに願いが叶えられるほど素敵には 出来ていないわ」 「じゃあ、そんなのどうでもいいから、もう戦うの はやめてよ。あたしは、あたしのために人が死ぬの を見たくない!」  動物たちの死。プリズナーたちの死。月面住人1 2万人の死。ヴァレリヤの両手は永遠に乾くことの ないどす黒い血にまみれている。 『君たちが我々の提案を受け入れてくれれば、解決 する問題だ。どうかね? これ以上、彼女に負担を かけることは出来ないだろう』 「やなこった」  般若丸はつっぱねた。そして、真琴をちらりと見 る。電子戦艦はSRWF−Gの攻撃によってダメー ジを負ってはいたが、それでも残った機能で、巡察 艦の位置を、コロニーの位置をモニターし続けてい た。近い。一足飛びの距離だ。巡察艦は急加速をか けてこちらに向かってくる。 『そうか。じゃあ、死なない程度にお相手しよう』 「……真琴、全速をかけるんだにゃあ。優、あんた はヴァレリヤを頼む。……全員、作戦開始!」  すさまじいGが船内の全員にかかる。押さえ付け られるというより、突き飛ばされる感覚。吹き飛ん だヴァレリヤを抱えて壁に叩きつけられた優は、急 加速による衝撃より、クッションになった痛みより、 ヴァレリヤの身体の異常な軽さに驚いた。  天井を見つめながら、ヴァレリヤはうわごとのよ うに呟いた。 「あたし、人に頼ってばかり……本当に、それで良 かったのかな?」 「……僕は君が信じてくれたから、ここにいる。君 の信頼に応えるために。みんなだってそうだよ」 「ありがと、優。でも、あたしは知らず知らずのう ちに、みんなにそれを強制していたのかも知れない。 あたし、間違ってたのかな?」  優はぎゅっとヴァレリヤを抱き締めた。そして、 何時の間にか優よりも大きくなっていたヴァレリヤ の身体に、ヴァレリヤと自分との間に残された時間 の少なさをくっきりと感じて、優はひどく切なくな った。  般若丸の船団はSRWF−Gの船たちを振り切り、 巡察艦の脇を抜けてコロニーへと突っ込んでゆく。 追おうとするの針路は般若丸に向けて放たれた砲火 に遮られた。巡察艦の砲門がゆっくりと動く。次の 目標を求めて。 「散開ッ!」  チャーリィは叫んだ。      @     @     @      L4の防御艦隊があまりにも少なかったこともあ り、コロニー突入作戦はスンナリと決まった。かく て、ヴァレリヤたちはL4コロニー、ロス・アラモ スへの侵入を果たす。 「さて、これからどうするつもり?」  ローザが般若丸に問う。聞かれた般若丸は可憐な メイド服姿。先の突入作戦で敵の撹乱のために着て いたものをそのまま引き続き着用しているのだ。ひ ょっとすると気に入ってしまったのかも知れない。 ちなみに、レア以外の全員がその姿である。勿論、 南雲もだ。筋骨隆々のメイド男というのは、もはや 夏の夜の悪夢に近い。 「僕たちはクローン施設の制圧に向かうにゃあ」 「あてはあるの?」 「あるといえばあるし、無いといえば無いにゃ。た だ、ヴァレリヤの治療を行なう必要はあるけど」  コロニー内地図を見ながら、般若丸は言う。 「治療?」 『ヴァレリヤを延命させる方法ならば、既に見つか っています』  ローザの問いに答えたのは、低い男の声。コロニ ー内のスピーカーから発声しているらしい。 『失礼。私の名前はドルミーシュ・ハイダル。機構 軍の兵器開発室室長です。クローン研究施設が現在、 取り込み中のため、音声のみの交信になり、大変申 し訳ありません』 「取り込み中?」 『ええ。クローン施設の解放を叫ぶ野蛮人たちが多 数、乗り込んできてましてね。現在、対応に当たっ ていますが、なにぶん、あれらは不慣れなもので。 やはり、ヴァレリヤ程の傑作はなかなか生まれない もんですな』  その時、ローザの心に、エングラムを通じてある イメージが広がってゆく。機械のような動きで襲い かかる生気の無い少女たち。ネイバー、未岡さとり の見た映像だ。わずかな時間しかイメージは知覚で きなかったが、ローザは全てを理解した。 「室長殿、クローンを投入したのですか?」 『はい。今は大統領閣下のために、一兵でも多く優 秀な兵士を投入することが最大の忠誠であると認識 しております。無論、施設の解放など認めるわけに はいき/ま/せ////ん』  ノイズが入った。また襲撃部隊の攻撃を受けたの だろうか? 「それよりも、ヴァレリヤを延命する方法って何で すか?」  紗久良がヴァレリヤの脈を取りながら言う。 『私もDNAをいじる等、様々な方法を試しました が、どれも決定的ではありませんでした。やはり、 それの耐久寿命を延ばすには耐久寿命を縮める原因 を断つしかありません』  まるでヴァレリヤが問い掛けるのを待つかのよう に、ドルミーシュは言葉を切った。だが、ヴァレリ ヤは俯いたまま何も言わない。許せないのかもしれ ない、とまゆは思った。このドルミーシュという男 は、現在、兵器としてクローンを戦線に投入してい る男なのだ。 『……つまり、ヴァレリヤの代謝機能を制限するこ とです。そうすれば、自由に動くことはできません が、しかし、生き延びることはできます。どうです か? これで耐用年数は飛躍的に延びることでしょ う。また、脳の成長を司る部分をいじってもこれは 可能ですね。これが成功すれば、私の研究もまた一 歩前進することでしょう』  たまらずヴァレリヤは走りだした。 「そこまでされて、あたしはずるずる長く生きてい たくない。それに、あたしにはまだ、やることがあ るの!」  慌てて千尋と優がヴァレリヤを追う。だが、L4 の地理に関してはヴァレリヤの方が圧倒的に詳しか った。 「……あなたたちは追わないの?」  ローザは般若丸に言った。彼女の力を以てすれば 、ヴァレリヤを見つけることなど容易いことだ。何 しろ、ここは彼女のホームグラウンドなのだから。 「いいにゃ。僕たちの目的はクローン施設の掠奪だ。 DNAの書き換えが無理なら、これ以上、ヴァレリ ヤに関わる理由はない。あんたも解放するにゃ」 「それはどうも」  クローン施設に向かって走ってゆく般若丸たちを 見送りながら、ローザは発信器に口を近付け、何事 かを呟いた。そして、にやりと笑った。 「さて、善後策を協議しましょう。まずは、みんな を集めなきゃ」      @     @     @     L4ロス・アラモスのコロニー内にある大型ドッ クの中に、出港を控えた最新鋭反物質戦艦ブリジン ガメンの姿があった。今、ブリジンガメンには、サ ミュエル・ゼーゼマンからもたらされた反物質が積 み込まれている真っ最中であった。  栄えある出港。  フェデレーションのグワイヒアや、シャドウファ クシにも負けぬ、機構軍の最新戦艦。それが挙げる であろう戦果の予想は、ここで働く整備員たちにと っても希望に満ちたもののはずだった。  だが、整備員たちの表情は決して明るくはない。 彼らの間にも、ブリジンガメンに叛意アリ、との噂 が広まっていたのである。 「どうする? タレ込むか?」 「要らねえよ。俺は機構軍の身だが、俺の弟一家は まだ地球にいるんだ。ラウルを勝たしちゃあいけね ぇとは思ってた。こいつがフェデレーションに手を 貸すんだったら、俺もこいつに乗ろうかと思う」  整備員はブリジンガメンの銀色の身体をぽん、と 叩いた。 「俺はこいつに賭けてみようかと思う」 「本気かよ」「ああ、本気さ」      @     @     @     「本気なのですか?」  ブリジンガメンのブリッジで、ローザはブリジン ガメンの艦長、ヴァルディーノ・ランに問い掛けた。 ローザはヴァレリヤを捜索しているうちに、ブリジ ンガメンに叛意アリとの噂を聞き付けたのだ。ヴァ ルディーノはにやにやと不敵な笑みを浮かべながら 答える。 「俺ぁいつも本気だ、秘書官殿。それに、同調する やつだってわんさといる。ラウルの奴も、流石に末 端まではレゾナンスを仕掛けきれなかったらしい。 ま、当然だけどな。あいつの性格から言って」  そこでヴァルディーノはローザを睨む。 「で、あんたは結局、何が言いたいんだ? 言って おくが、このフネを止めることはできんぜ。何たっ て戦艦の製作責任者様がおいでだからな。お前さん たちが止めるより早く、こいつは飛んでいけるんだ」  時雨月辛は反物質燃料搬入の指揮を取っている。 その作業もあらかた終わっている筈だ。 「私は、あなたがたを止めるつもりはありません。 いや、むしろ、感謝さえしています」 「へ?」  毒気を抜かれた様子で、ヴァルディーノ。ローザ は静かに微笑んで、続ける。 「ブリジンガメンで、ヴァレリヤをコンスティテュ ーションまで運んでください」  ラウルにはもはやアタランテをもってしても追い 付けない。可能性があるのは、グワイヒアに匹敵す る能力を持ったブリジンガメンのみ。ローザにとっ て、ブリジンガメンの裏切りは渡りに船だったとい う訳だ。 「コンスティテューション? ちょっと待てよ。俺 たち白兵戦の準備なんてしてねぇぜ」 「いいんじゃない? 彼女の仲間って結構多いみた い。戦闘はその人たちに任せていいんじゃないかな?」 とは、ミリア・フォルツ。「クルーが多ければ多い 程、操艦も楽になるし」  ヴァルディーノは何事かを思案しながら髪の毛を ばりばりと掻き毟った。そして、ばん、と膝を叩く。 「判った。ヴァレリヤを運んでやる」 「ありがとう。後は、ヴァレリヤだけね」  ローザが言ったと同時に、ブリッジの扉が開いた。 「わちゃっ。しまった、妙に高い所に出たと思った ら、ここってブリッジじゃない?」  大きなカバンを持った小柄な少女、グラスコー・ O・ミルクティーがランたちを見て、くるりと踵を 返す。 「密航者だと?」  ランが艦長席を立つ。 「ほらほら、見つかっちゃったよぉ。逃げよう、ヴ ァレリヤ!」 「ちょ、ちょっと、逃げるって、どこに?」  廊下にちらりと豊かな金髪の端が見えた。 「ヴァレリヤ? そこにいるの?」 「ローザ?」  ヴァレリヤが首を出す。ミルクティーは必死でヴ ァレリヤの手を引っ張るが、滑稽なほどの身長差が あるために、ミルクティーでは引っ張り切れない。 「何でこんなところにいるの?」 「やれやれ。これで出港準備は終わりかね」  ランはおもむろに通信のスイッチを入れる。 「諸君、俺はブリジンガメン艦長のヴァルディーノ ・ランだ。これからブリジンガメンはシルマリルに 向けて出港する。みんな急げよ。乗り遅れても知ら ねえぞ。以上!」      @     @     @      ブリジンガメンの航行速度は素晴らしいものだっ た。銀色の船体は明るさを増した太陽の光を跳ね返 しながら、シルマリル、即ち最終決戦場へと向かっ てぐんぐんと突き進んでゆく。  ヴァレリヤはブリジンガメンの格納庫の中にいた。 格納庫のカタパルトに取り付けられているのは、先 端を鋭角にして突入専用にカスタマイズされたエル マー級宇宙船『スレイプニル』号。ヴァレリヤたち はその先端でコンスティテューションに穴を開け、 そこから突入する手筈になっている。また、同様の 改造を施された宇宙船で相当の人数が乗り込むこと になっていた。 「ヴァレリヤ。本当に行くのか?」  聞き覚えのある声に、靴を履いていたヴァレリヤ は顔を上げた。見覚えのある顔がそこにあった。 「テッタ! ここまで来てくれたの?」 「……いや、正確には来てしまったというのが正し いかな? 君に言いたいことがあって……」  ヴァレリヤはテッタの口調からなにかを感じたら しい。神妙な顔になる。 「ヴァレリヤ。僕は君にとって悲しい過去の生き証 人でしかないのか?」  テッタは真摯にヴァレリヤを見つめる。ヴァレリ ヤは立ち上がり、靴の爪先で床を叩いた。そのまま 身体が浮かび上がる。 「そんなことないわ。あたしにとってテッタは特別。 一番昔から一緒に居るし、だから、テッタのココロ の中には一番多くあたしがいる。違う?」 「……違わない。僕にとっても、君は誰よりも大切 な存在だ。だからこそ、僕は自分に何も出来ないっ てことが悔しい。僕が近くにいると、嫌なことばか り思い出すだろ? だから、僕は君の前から去ろう と思う」オーボエケースを片手に、テッタは背中を 向けた。「さよなら」  だが、その上着の裾を、ヴァレリヤは掴む。 「さよならなんて言わないで。何も出来ないなんて 言わないで。テッタと一緒に歩いてきた思い出は、 確かに悲しいものばかり。でも、それすらもあたし には大切な思い出なのよ。今までの思い出の数が少 ないからこそ、あたしはそれを大切にして生きてい けるの。だから、一緒に行こう。そして、あたしを いつまでも憶えていて。例えあたしが死んでも、ず っと……。お願い」 「ヴァレリヤ……」  テッタを見る少女、いや、もう少女とは呼べない くらいに成長したヴァレリヤの瞳から、小さな涙の 粒が流れて浮いた。      @     @     @ 「コンスティテューション確認したよ。やっぱり護 衛艦隊十重二十重。ラウルってのはよっぽどつまん ない奴なのかねぇ」  臨時に通信士となった川波君枝が口を尖らせる。 艦長は頭を掻いた。 「もっと、こう、雰囲気のあるように喋っちゃくれ ねぇかな? 盛りあがらねぇよ」 「はん、生憎、これが地でね」 「そうかい。ま、俺もこの調子でやらせてもらうか。 その方が楽だしな」 「艦長さん、そんなこと言ってる暇なんてないぞ。 針路上にエルマー級が一機と、デカいの……シャド ウファクシがいる。戦線にも近くなったし、グワイ ヒアにも何か言うべきだろ」  榊守丈太郎がデータを艦長席のモニターに転送し た。ヴァルディーノ艦長は君枝にグワイヒアとの回 線を開くよう伝える。 「大見ぃ、シャドウファクシとちっこいのにはくれ ぐれも当てるなよ」 「了解」元々ブリジンガメンを強奪しに来た男、大 見健太は、結局操舵手に納まっていた。艦長はグワ イヒアに通信を入れる。 「グワイヒア、最新鋭反物質戦艦ブリジンガメンこ こに参上。ラウルの野郎をぶっとばしてやるぜ。つ いては、作戦が終わったら反物質燃料を分けてくれ よな。ラウルに丸ごと取られるよりはよっぽどマシ だろ」  ややあって、グワイヒアから返信が届く。 『申し出に感謝。貴艦の戦果をおおいに期待してい る。以上』 「そいつぁありがてぇ。ケツ持ってくれるらしいぜ。 よっしゃ、大見、さらに加速だ。一気にコンスティ テューションに迫るぞ! ミリア、アレの準備をし とけ!」  ブリジンガメンの反物質エンジンがさらに出力を 上げる。そして、今まで翼のように張り出していた 八枚の放熱フィンに加え、各所に付けられたサブの 放熱装置までもが一斉に展開された。 「敵護衛艦隊、動きます。針路に二隻。機構軍籍戦 艦『ラグナ・セカ』と『シャーロット』です」  L・パラッティオは一瞬、ハッキングによる撹乱 を試みようとしたが、諦めた。それが極めて難しい ことは海賊にハッキングを仕掛けた時に判っている。 しかも、時間が無い。ブリジンガメンのスピードは 尋常ではない。 「よし、そろそろスピードを絞れ。ミリア、照準」 「ちょっと待って。この船にはヴァレリヤが乗って いるわ。それを伝えれば、交戦は避けられます」  観測員席に座っていたターニャ・B・スザクがヴ ァルディーノ艦長に言った。妥当な提案である。だ が、副操舵士のキーノゥ・ドルバックは首を振った。 「いや、それは無いだろう。デーモン・ラウルも恐 らくこのフネにヴァレリヤが乗っていることくらい 判ってるんじゃないか? ネイバーというか、元々 同じ身体なんだからな」  ネイバーリンク慣れしているキーノゥの言葉には、 説得力があった。しかし、だとすればラウルはヴァ レリヤを殺すつもりでいるということになる。  ヴァルディーノは少し考え込んだ後、ミリア・フ ォルツに親指を立ててみせた。 「ターニャ、俺もそこの操舵士の言うとおりだと思 う。それに、邪魔する奴はぶっ潰すまでよ!」 「まるで海賊ね」  呆れたように、ターニャ。 「何とでも言え。ミリア、これは俺たちの新しい組 織『Beyond』の最初のイベントだ。派手にい こうぜ、外すなよ! 目標、右舷前方ラグナ・セカ」 「わかりました。ボク、頑張るよ!」 「よし、4連電磁砲メギド・シリウス、発射!」  ブリジンガメンの四本のバルジ全てに、メイン対 消滅エンジンからエネルギーが送られる。バルジが 震えた。発射。電磁波は真直ぐにラグナ・セカを捕 らえた。ラグナ・セカの内部が沸騰する。そのまま、 ラグナ・セカは予定攻撃位置を通り過ぎ、小型の僚 艦を弾き飛ばし、巻き込んで、やがて、爆発した。 密集戦型を取っていた護衛艦隊にぽっかりと穴が開 く。シャーロットが必死にレーザーと電磁砲を撃ち ながらその穴を塞ぐ。 「シャーロットから第1波、来ます!」 「全員、そこらへんにつかまれ!」  衝撃は無かった。イェルミネン・ラーが素早く情 報を転送する。 『左舷第3バルジ(上方)に被弾。電磁砲の損害は 軽微。ダメージコントロール許容範囲内です。また、 直後にレーザーの着弾確認、全て問題なし。許容範 囲内。負傷者はゼロ』 「ふふっ。機構軍の戦艦ごときにこのブリジンガメ ンは落とせないよ」  時雨月が胸を張る。その様子を、イェルミは黙っ たまま静かに見つめた。  ヴァルディーノはコムニーを手に取る。 「よし、もう一発だ! 目標、左舷……いや、右舷 前方、シャーロット。撃破後、このまま減速しつつ コンスティテューションに並走する。突入隊、準備 しろ!」      @     @     @  沈黙したシャーロットの脇を擦り抜け、疾走する ブリジンガメンから、スレイプニルら小型艇が飛び 出し、コンスティテューションに向かって真直ぐに 加速を開始する。  スレイプニルは、リサ・ランドールの狙い澄まし た加速でコンスティテューションの横っぱらに突き 刺さった。その他の船も、まるでマタドールの槍の ように次々にラウルの旗艦に突入してゆく。  ヴァレリヤたちは気密の破れた区画を抜けて、予 定されていた集合地点の十字路に到着した。方向音 痴による悪影響を防ぐために命綱を付けたテッタも 一緒だ。 「ヴァレリヤ、ラウルのいる方向はわかる?」  ヴァレリヤの護衛に志願した女性、アディリシア ・アデライドがライフルを片手に言った。ヴァレリ ヤは頷く。 「頼むぜ、ヴァレリヤ。もっとも、司令官室かブリ ッジかだろうけどな、あの男の場合」  と、一樹・ローゼンクロイツ。果たして、ヴァレ リヤがほんの少し接触を開いたエングラムも、それ を示していた。だが、ヴァレリヤは突然頭を抱えて うずくまる。一瞬遅れて、悲鳴が漏れた。 「ど、どうしたの、ヴァレリヤ!」  優が急いで駆け寄り、ヴァレリヤのエングラムに 触れる。……触れてしまった。  凄まじい絶望が優のエングラムにも流れ込む。そ れが、デーモン・ラウルのものであることに気付く まで、少しの時間も必要なかった。 「う、うわぁあっ!」  優は叫びつ、反射的に手を引っ込めた。それは、 そのエングラムは明らかにヴァレリヤのものではな かった。デーモン・ラウルのそれと同じものだった。 クローン。そう、ヴァレリヤとデーモンのエングラ ムは同じものだったのだ! 「うぅぐえぇ」  ヴァレリヤはラウルの生々しい絶望を真っ正面か ら受け、その場に思わず嘔吐した。ヴァレリヤにと ってエングラムとは痛みでしかなかったのである。 遮断していなければ、ラウルの思考が絶え間なく流 れてゆくのだ。恐らく、ヴァレリヤの使えるエング ラムの領域は(活性率とは別にして)ラウルに比し て果てしなく小さいに違いない。 「……あ、あいつは司令官室よ。だけど……まずい わ。こちらの位置もあいつに知られてしまった!」 「それじゃ、急がないと!」  ライラック・イザミリオンが言った時には、既に 機構軍兵士の殺到がはじまっていた。軽快な機関銃 の音が響く。とりあえず、一同は廊下の陰に飛び込 んだ。 「急ぐったって、どこに行くってんだ! 敵の襲撃 が早かった以上、俺たちは防戦に回るっきゃねぇ! さっさと退路を確保するんだよ! ヴァレリヤの帰 り道を作ってやるんだよ!」  焔紅龍が吠えるようにして意外と冷静な意見を述 べる。まさにその通りである。 「わかりました。ヴァレリヤは責任を持って閣下の 所へ連れていきます」  ローザが言った、その時。 「うわああああああああああっ!」  絶叫とともに銃声が響いた。  うずくまったままのヴァレリヤを庇うようにして 立っている優の目の前で、黒づくめの機構軍兵士が 銃を構えていた。銃からは硝煙がゆっくりと立ち上 っている。 「優、ヴァレリヤ!」  テッタがライフルを構えて駆け寄ろうとした瞬間、 兵士がどさりとその場に倒れた。 「え?」  優の左手には、スタンガンが握られていた。機構 軍兵士の放った弾丸は間一髪、優の頬に一筋の傷を つけることしかできなかった。二人の攻撃は同時だ ったのだ。 「ヴァレリヤ、大丈夫?」 「う、ううっ……ありがとう、優。あたし、殺され るところだった」 「ヴァレリヤが無事ならいいんだ」  優は手を差し伸べて、ヴァレリヤをゆっくりと助 け起こす。  その瞬間だった。  ヴァレリヤは優の肩ごしに、機構軍兵士が廊下の 陰からライフルを乱射するのを見た。  発射音はなく。  マズルフラッシュもなく。  ただ、ヴァレリヤの細い腕に、繋ぎあった手と手 を介して、鈍い衝撃が伝わった。  今度は、優がヴァレリヤにもたれ掛かる。  その背中を見たとき、ヴァレリヤは思わず息を飲 んだ。左胸の裏側に、ぽっかりと黒い穴が開いてい たから。 「い、厭あああああああああ!」  ヴァレリヤの絶叫と共に、優の背中から血が吹き 出る。ライフルを射った兵士の腕をアディリシアが 射った。他の護衛も銃を乱射して敵を牽制する。 「まずいわ。早く治療しないと!」  紗久良が優の容態を見ながら、簡易救急キットを 取り出す。 「優、優は大丈夫なの!?」  自分の身体のことも忘れ、ヴァレリヤは優の身体 にすがりついた。紗久良は目を瞑る。 「わからない。でも、ここでぐずぐずしてる訳には いかないでしょう。ヴァレリヤ、優と退路は私たち に任せて。あなたは早くラウルの元へ」  ヴァレリヤは泣きじゃくりながら優の頬を何度も さすっていたが、やがて、こくりと頷いた。 「ええ。それじゃあ、ローザ、テッタ、一緒に」 「いいわ。行きましょう」  三人は廊下の奥へと走ってゆく。途中、何度も何 度もヴァレリヤは後ろを振り返ったけれど、優が目 を覚ますことは、なかった。      @     @     @      目的地に続く扉は、艦内の普通のドアと同じく、 圧搾空気を使った自動扉だったのだが、その扉が開 いた瞬間、ヴァレリヤには、その様子が酷くゆっく りに見えた。  目の前が同様にゆっくりと開けてゆく。機構軍籍 の船らしい無骨な意匠で統一されたコンスティテュ ーションの司令官室。その男は、ヴァレリヤたちに 背を向け、部屋の中央にしつらえられた椅子の上に、 傲然と腰掛け、来ることの判っていた闖入者に向け て黒い銃を構えていた。  その男の名を知らぬ者はいない。そう、汎宇宙開 発機構軍総司令官、デーモン・ラウル! 「来たか」  男は微動だにせず、低い声でただ一言、そう言っ た。その言葉には、感慨はおろか、興味までもが一 切含まれていなかった。だが、ローザ・ルクセンブ ルクは、自分たちに向けられた銃口よりも、久しぶ りに聞くその声に、全身が粟立つのを感じた。変わ っていない。否、より人間味の無い絶望感に満ちた 声は、かつてより遥かに凄味を増していた。全く何 も無いが故の威圧。思わず膝を折ってしまいたくな る自分を、彼女は心底恐ろしいと感じた。心の中で 絶叫をあげる自分を無理矢理押さえ付けながら、ロ ーザは震える手で敬礼する。 「デーモン・ラウル閣下、ヴァ、ヴァレリヤ嬢をお 連れしました!」  後半部分、ローザの声は裏返っていた。 「遅すぎだ」  くだらなそうに言いながらも、ラウルは拳銃の照 星をヴァレリヤの左胸に合わせたまま。  しかし、ヴァレリヤは一歩、足を踏み出した。ラ ウルの前へ、出会うべく運命づけられた男の前へ。 「うっ」  今度はテッタがぎょっと目を見開いた。  似ている。  実際に向かい合った二人は、性別は勿論、体格ま でが全く違うのにも関わらず、それでも、よく似て 見えた。もしかすると、この二人の間では、全ての 人間を見下げ果てたかのようなどろりと濁った青い 瞳だけが、デーモン・ラウルの個性なのかもしれな い。テッタはそう思った。 「ふん、漸く任務遂行か。ご苦労なことだ」  ぎろりとラウルはローザを見据える。だが、ロー ザの反応を観察するでもなく、その視線はヴァレリ ヤに向けられた。ヴァレリヤも睨み返す。ラウルの 瞳に嘲りの色。ヴァレリヤの薄い桜色の唇がわなな いた。だが、先に口を開いたのは、ラウルだった。 「何をしに来た。クローン風情が」  ヴァレリヤの顔がみるみる紅潮してゆく。だが、 彼女は爆発的に口を開くようなことはしなかった。 暫しの静寂。そこで初めてローザたちはラウルの周 りに見知らぬ者たちが立っていることに気付いた。  やがて、ヴァレリヤが口を開く。 「違う。あたしは、あたしはヴァレリヤ・ハチャト ゥリアン。確かにあんたのクローンとして生まれた わ、だけど、違う、あたしはあたしよ」  反駁するヴァレリヤに、ラウルは冷たい、見下げ 果てた薄笑いを唇の端だけに浮かべた。 「そうだ。貴様はヴァレリヤ・ハチャトゥリアンと いう名を持つ、私のクローンだ。それ以外の何物で もない。そんなこともわからんか」 「違うッ!! あたしはあんたなんかと同じじゃない!  同じじゃない!!」  拳を震わせて、ヴァレリヤ。ラウルはそこでぴた りと笑みを止めた。それすらも痛痒に感じる程、く だらないコトだと判断したから。 「同じだ。貴様が想像以上の阿呆だったこと以外は な。……つまらん時間を過ごした。もう、貴様は不 要だ」 「閣下! しかし、それでは!」  ローザが言いたかったのは、レゾナンスのこと。 しかし、ラウルはそれを完全に遮り、無視した。再 びヴァレリヤを睨めつける。 「死ね。私のクローンらしく、最期くらいは私の役 に立て」  拳銃が火を吹いた。  放たれた凶弾は真直ぐにヴァレリヤの急所を、心 臓を貫かんと迫る。  素早く反応したテッタは、ヴァレリヤを突き飛ば すべく身体を入れた。しかし、ヴァレリヤはずっと ラウルの瞳を見つめ続けていた。血が出るほどに唇 を噛みながら。  それが仇になった。  鉛色の嘲笑が、ヴァレリヤの左腕を貫いた。  弾かれたように少女の身体が飛んだ。  そのまま床を滑る。赤いラインが床に引かれた。  いつもなら、ここで傷が回復する。  彼女にはそういう能力が与えられているのだ。  テッタはかつてそれを間近に見た。  しかし。 「う、うくぅうっ!」  ヴァレリヤにとっても意外なことだったのだろう。 驚きに満ちた眼差しで、信じられないように左腕を 見る。だが、もっと驚いたのはテッタとローザだっ た。  なめらかなヴァレリヤの金髪が、急速にその色を 失ってゆく! 白く、白く、それは果敢ない新雪の 色のよう。 「とどめをくれてやる。喜べ」  ラウルが立ち上がった。  ヴァレリヤはゆっくりと力無く目を瞑る。  その時、扉が、開いた。      @     @     @     「ラウル……何やってんのよ!?」  入って来たのは、中山りり奈だった。彼女は部屋 の中の異様な光景にぎょっと目を見開いた。その隙 を見て、哲太がヴァレリヤを引き摺ってラウルから 離す。 「ま、まあいいけど。とにかく、ラウル、あんたこ のままじゃ死ぬわよ。あんたは死なないつもりでも。 だから逃げるのよ、情報世界にね!」 「情報世界に、だと?」 「そうよっ!」  胸を張って、りり奈はそう言った。 「フェデレーションにはどのみち太陽を止められや しないわ。だからとっとと逃げて頂戴」  りり奈の脇には、ラガ・キンバリと情報室オペレ ーターの吉沢はるひがいた。彼女達の顔色は揃って 悪い。何か重労働の後の様な印象を受ける。 「フェデレーションになど、端から俺は期待してい ない」 「だったら!」 「……阿呆か、貴様は。何度も同じ事を言わせるな、 この俺に」  ラウルの表情は、相変わらず冷たく硬質なものだ った。今現在機構軍が置かれている状況は、つまり 現在の戦況は、はっきり言って悪かった。何もかも が予定を超えていた。推進剤が足りない、弾薬が足 りない、兵士も足りない、そして何より、時間が足 りなかった。  それでもラウルの表情は一筋も変わる事はなかっ た。ここまで来れば憎たらしくもない。 「太陽は俺が止める。分かったならとっとと失せろ」  素っ気ないラウルに、りり奈が尚も食い下がる。 「何よっ! 人が折角……折角あんただけでも生き 延びる事が出来る様にしてやってんのにっ! 阿呆 はあんたよラウル! あたしは……あたしはっ!」  ヒステリックに喚き散らす。それを見かねたラガ が口を開く。 「まあ、ラウル、あんたがまさか今のこっちの…… 機構軍艦隊の状況を把握していないとは思わないさ。 あんたは優秀な人間だからな。ただ、このままだら だら戦争続けていても、意味ない上に時間の無駄。 太陽をどうこうする前に、太陽がイカレちまうね」 「閣下、実は……」  はるひが遠慮がちに、しかしいつもとは全く違う、 りんとした口調で言った。 「実は、私の独断でコンスティテューションのホス トコンピューターに大量のコギトンを……データを 流しています。もうじき、データバンクの限界を超 えた情報がこの船に入ります」 「何だと?」  知っている。はるひ達がした事は、ラウルが一番 嫌う行動だ。彼の命令以外で犬達が動く事。それを 彼女達はラウルを救うためにやっていたのだ。  ラウルの蒼い瞳がきらめいた。感情は見えない。 しかし彼が酷く立腹したのは分かった。はるひは黙 ってラウルの言葉を───恐らくは否定的な言葉を 待った。  しかし、代わりに訪れたのは船全体を揺るがす衝 撃だった。ただの被弾のものではないのはすぐに分 かった。 「何よ!?」  りり奈が叫んだ。と同時に、部屋が真暗になった。 動力が落ちたらしい。ラガが暗闇を見回した。 「……ちょっと、まずいんじゃない?」  開けられたままになっていたドアから、兵士が飛 び込んで来た。 「閣下! ご報告申し上げます! ただ今、敵船よ り核爆弾による攻撃を受けた模様です。強力な電磁 波が発生致しまして、ホストコンピューターに異状 が生じたとの事です。非常電源に切り替えますので、 今しばらくお待ちを!」  兵士は言うだけ言うと、慌てて持ち場へ戻って行 った。りり奈が肩を竦める。 「平和を唱えるフェデレーションにしちゃ、怖い事 するわねぇ? 核爆弾で攻撃なんて……あいつらと 同じじゃない!」  彼女が言っているのは、先月L5で大量虐殺を行 なったテロリスト達の事である。苦々しい記憶に、 他のふたりも唇を噛み締める。  ラウルは何も言わない。沈黙が続く。電源はまだ 戻らない。  不意にラガは違和感を感じてはっとした。 「……何、何か、変ね」  きょとんとするふたりをよそに、ラガは頭を軽く 降った。奇妙な感覚に、彼女は襲われていた。意識 が微妙にずれている様な、鈍い違和感。 「どうしたの?」  はるひが問いかける。部屋が明るくなった。電源 が復旧したのだ。とりあえず息を着く3人。しかし それは次の瞬間、どこかに吹き飛ばされた。  ラウルは、ドアの前の床を注視していた。  誰かが倒れている。血だらけだ。着ているものは 明らかにフェデレーションの宇宙服だった。しかも、 一昔前のタイプのものだ。少なくとも、機構軍では もう使っていないものだ。恐らくフェデレーション も同じだろう。 「……誰?」  事態が把握出来ずに、りり奈が訊いた。うつ伏せ に倒れているその誰かが、掠れた声で呟いた。 「……デーモン……」  ラウルは黙ったままだった。当然、他の3人は驚 いたが。 「ちょっと! しっかりして!」  とうとうラガが駆け寄って抱え起こした。壊れた ヘルメットを取ってやると、中から出て来た顔は青 年のそれだった。何処かで見た事がある。はるひが 息を呑む。 「こ、この人……俳優さんだわ! 『彗星動乱』の ……マイケル・ラウル役の!」 「でもどうしてこんな所に? 大体、映画の撮影隊 って監督とセレス基地もろともに行方知れずになっ てたんじゃ……」  ラウルはゆっくりと、ラガと俳優───桜井・フ ランシス・寿人の元に近づいて来た。しかしおかし い。寿人の全身を染め上げている血は生暖かかった。 まるで本物の血の様だ。鼻孔をつく鉄の匂いがやけ に生々しい。寿人の唇が、また動いた。 「デーモン……」  彼が呼んでいる人物は、すぐ目の前にまで来てい た。立ったまま、ラガに抱え起こされている寿人を 見下ろしていた。  グローブを外された血まみれの手が、ラウルの軍 服の足に触れた。 「デーモン? デーモンなのか?」  急に寿人の語調がはっきりとした。確かめる様に、 その手がラウルの身体を撫で回す。メイクにしては リアル過ぎる血糊がラウルの服を汚すが、当のラウ ルは特に反応も見せずにただ、寿人を見ている。 「デーモンなんだな? ……良かった……最後にま た会えて……」  寿人は目を閉じたままだった。演技なのだろうか。 撮影なら監督や他の撮影隊の姿もあっていいだろう に。しかし寿人以外に映画関係者の姿は見えなかっ た。それに大体、交戦中の旗艦にどうやって潜り込 むと言うのだ? 変だった。何もかも変ではないか。 「な、何よこれ……」  りり奈が呟いた。しかし彼女も薄々感づいていた。 ラガが感じている違和感が、この時には彼女にも感 じられていたのだ。それははるひも同じだった。 「ここって……もしかして……」  はるひは複雑な表情をしていた。  寿人は震える手で、強くラウルの足首を掴んだ。 「デーモン、お兄ちゃんだよ。マイケルだよ。分か るかい?」  優しく言って、寿人は音をたててどす黒い血を吐 いた。演技にしても、また冗談にしても、たちが悪 い光景だ  「……だ、大丈夫……平気だよ大した事ない。でも、 どうやらお兄ちゃん、デーモンとの約束を破っちゃ いそうなんだ……帰れないんだ、多分。ごめんね ……デーモン」  ラウルは静かに寿人を見ている。 「デーモン、ひとつだけ、お兄ちゃんの願いを聞い てくれないかな」  無理矢理に、寿人は笑った。いや、寿人ではない。 それは確かにマイケル・ラウルの笑顔だった。寿人 と、マイケルがだぶって見えた。ラウルはかすかに 眉を動かした。 「デーモン、もうやめるんだ。もういいんだよ」  寿人の言葉は、幼い弟に対するそれだった。 「僕は自分から前線に出た。お前をおいて行ってし まったのは……約束を守れなかったのは悪かったと 思ってる。でもな、デーモン。分かって欲しいんだ。 僕はフェデレーションの為に死んだんじゃない。僕 達の、みんなの、そしてデーモン、なによりお前の 未来を守る為に死んだんだ。だから、もう馬鹿な事 は、やめてくれ……」  しかしそこにいるのはマイケルの記憶の中の幼い デーモンではなかった。寿人を見下ろしているのは、 デーモン・ラウル合衆国大統領にして宇宙開発機構 軍総司令官だった。  ラウルは虫の息の実の兄に、嘲笑を浮かべて、言 った。 「貴様やガンサーのやり方の結果が、今のマイケル、 貴様の無様な姿なのだ」  そうして、りり奈達3人を睨み付けた。 「……帰るぞ。こんな所にはもう用はないからな」 「ラウル……あんた……」  ラウルはとっくに知っていたのだ。ここが、コン スティテューションであってそうでない事を。自分 が今、現実の世界にいない事を。  今彼らがいるここが情報世界なら、今の出来事は 全て真実となる。  りり奈はラウルを見た。何だか泣き出しそうな瞳 で。 「死なないわよね? 死なないなら、帰ってもいい わ。あんたが生きているなら、あんたがどこにいて もいい。誰を好きでもいい。誰と寝てたっていい。 だから……死なないでよねっ!?」  ラウルはせせら笑うと、足元の寿人を、マイケル を、実の兄を蹴り飛ばした。 「……俺に、同じ事を言わせるなと言っただろう?」  視界がぶれた。エングラムが痛い程熱くなる。強 烈な違和感が、今度ははっきりと頭の中に滑り込ん で来た。離れて行く、無限の彼方から。哀しい現実 世界へと、皆の意識が引き戻されて行く───。      @     @     @      軽い目眩(めまい)と、違和感に襲われたが、す ぐに自分を取り戻した雅也は、すぐさま司令室のド アを開けた。  部屋の中の様子は異様だった。ラウルが銃を持っ たまま立ち尽くしていて、部屋の隅では誰か─── 女が呻いている。そしてその間に挟まる様にして、 りり奈とはるひとラガがいる。事態が今ひとつ把握 出来ないが、雅也は素早く的確に動いた。  雅也の手が、ラウルの背中に伸びた。後ろからラ ウルを抱きしめる様に羽交い締めにする。ライザが 次に我を取り戻した。 「ライザ! モルフェウスを!」  叫んだ。雅也は次の瞬間、ぞっとした。ラウルの 身体に急激に力が入ったのだ。そして突然目の前に 火花が散った。 「……何のつもりだ」  雅也の鼻柱を肘で叩き折った姿勢のまま、ラウル が言った。ライザが顔面血まみれになって倒れる雅 也に駆け寄る。 「雅也!」  雅也は何とか無事な様だったが、ライザはそのま ま凍りついた。  ラウルの銃口が、こちらに向けられていた。 「貴様ら、何の真似だ」  殺される。はっきりとラウルの瞳には殺意が宿っ ていた。ライザは雅也の手を握り締めた。嫌な汗が 流れる。  銃声が、響いた。  奇妙な沈黙が訪れた。  その場の全員が、自分の身の無事を確認した。そ して最後に、ラウルを見た。  ラウルの唇から、真赤な血がしたたり落ちた。背 中にぽつりとあったどす黒い染みが、みるみる広が って行く。 「……お前が、先の、様だな」  ゆっくりと、ラウルは振り返った。そして、手に していた銃を、ドアの前の賢一に向ける。向けて、 撃った。 「させるかっ!」  銃を撃ったままの姿勢の賢一を、ウォルターが突 き飛ばした。 「最期くらい大人しくしてもらいましょうか、ラウ ル閣下!」  レオーネが言いながら、レーザー銃を撃った。ラ ウルは光線に腹を貫かれた。 「……お前と同じ、現実的な選択をしたまでだ。デ ーモン」  呟いて、ウォルターも銃を撃った。彼の放った弾 丸は、ラウルの肩と右の胸を貫通した。  3人の暗殺者達は、獲物の様子を見た。  彼らの獲物───ラウルは笑っていた。  恐ろしく冷めきった笑いだった。全てを軽蔑し、 そして全てに絶望した荒んだ笑みを浮かべていた。  そして、崩れる様に倒れた。      @     @     @      デーモン・ラウル暗殺後にぐったりとなったヴァ レリヤを運びだした者たちは、ヴァレリヤの右手か らエングラムが消失していることに気付いた。  優はといえば、紗久良の迅速な治療が功を奏した のか、なんとかからくも一命を取り留めることはで きた。  ヴァレリヤはそのまま戦線から離脱し、L5コロ ニー、コート・ダジュールにある病院へと搬送され、 そこに入院することになった。      @     @     @     そして運命の9月12日。  ヴァレリヤは、太陽が超新星化する瞬間を、病院 のベッドで過ごすことになった。 《延命措置に関することは、あらかた判ったわ。や っぱり、ヴァレリヤの代謝を制限するってのが、一 番確実な方法みたい。でも、それを実行すると、一 日の殆どをベッドで過ごさなければならないし、重 度の記憶障害まで生じるのよ》  クローン施設から取ってきた情報を使って延命措 置を開発していたステラ・アインザッツは、ヴァレ リヤを心配して集まった者たち一人一人にエングラ ムを使って情報を伝達していった。  その中の一人、マーカライト・ヒュームは、ステ ラと自分のエングラムを交互に見て、最後に、ヴァ レリヤの右手を見た。 「まさか……ラウルが死ぬことでエングラムそのも のが失われてしまうとは……。エングラムパターン どころの騒ぎじゃあないな。これじゃ、スピナーも 使えない。厄介なことになったものだ」  ヴァレリヤはラウルと言う単語を聞いて、再びあ の時の会話を反芻した。そして、枕に顔を埋める。 「……いずれにせよ、あたしは延命措置なんて受け たくない。生きられるだけ生きて死にたいわ」 「俺もヴァレリヤに賛成だ。無理矢理に延命して何 になるんだ? そんなの凌辱でしかないし、彼女自 身だって望んでいないんだろ? 医学は、ただ命を 救うだけじゃない。人間が、人間らしく生きるため にあるんだ」  千尋が力強く言う。何人か、賛同するものが頷い た。  それを聞いて、ヴァレリヤは天井を仰ぎながら、 そっと涙を流した。流れた涙は白い髪の毛の上を朝 露のように伝い、床に落ちる。 「ふふ……目が霞んできちゃった。もう身体ももた ないみたい。もうじき死んじゃうわ、あたし。  あ〜あ、あたしって一体何のためにがむしゃらに 生きてきたのかな? 一体、何が出来たのかな? やっぱり、くだらない人生だったのかな?」  ヴァレリヤは枕元の新聞を手に取る。見出しには、 『デーモン・ラウル、暗殺さる!』と、いう見出し が踊っていた。彼女は小さく微笑む。 「これが、あたしの人生?」  そう呟いてから、ヴァレリヤは静かに目を閉じて、 そのまま深い眠りへと落ちていった。           ==TO BE CONTINUED!!=> ──────────────────────