■ No.10100「良き心」  GM:星空めてお 担当マスター:森崎文士亭 薙原號  このリアクションは選択肢100を選んだ人の内、 一部の方に送られています。 ────────────────────── 《あらすじ》 全てはうまくいかなかった。太陽の突然の超新星 化と緊急実行されるシルマリリオン計画。活性率 の足りなかったミラーを引きちぎり、太陽は膨張 していく。だが太陽は突如、水星に到達するあと少 しのところで膨張を止め、逆に収縮して元の大きさ に戻っていった。原因は不明だった。  それでも超新星化を続ける太陽。そして、貴い代 償を払った、太陽系崩壊までの三週間。  水星の影に大きな帆を張るドーナツ型のマーキュ リーステーション“バルカン”。そこは太陽にもっ とも近いステーションとして、太陽超新星化判明以 降、さまざまなうねりが通り過ぎていった施設だっ た。そしてその最後の波ともいえる太陽超新星化は、 『シルマリリオン』『オベリスク』両計画を文字通 り飲み込んで、不気味な沈黙の凪に入っている。  その激動の施設には今、さまざまな船が入港して いた。シルマリル争奪戦の決戦で尽力した、シャド ウファクシや、ブリシンガメン。待機軌道ではバル カン向けの荷を運んできた各種船舶や、太陽超新星 化対策のために訪れた船舶などが航行している。 「はい、質問があります、っていうか。いったいな にがどうして太陽が超新星化するのよ! 説明を求 める!」  そんなバルカンの研究区。観測データを収集分析 していたバルカンスタッフに、エレナ・アブドラが 挙手をしながら質問を発していた。その緑の瞳が、 あんな不条理なものを認めてたまるかと、静かに燃 えている。あー、と言いながら、手早く現段階のデ ータを誰でも閲覧できるような形でウェブ上にアッ プし、エレナの方に振り返るバルカンスタッフ。 「太陽の質量の増大が、超新星化の原因だってのは 分かるよな?」 「それぐらい分かるわよ。太陽内の核融合反応が異 常に促進されていて、それで質量が増えているんで しょ」 「ああ、そうだ。そこで問題になるのが、なぜ核融 合反応が異常に促進されているか、だが、理由は分 かるか?」 「分かってたら、聞きに来ないわよ」  エレナがそう言いながら、その愛らしい顔のほほ をぷうと膨らませる。コンソールの前に座った畠山・ 今日が手でジェスチャーを交えながら、話しを続け る。 「当初の観測では原因は空間の歪みだと考えられて いた。だが、その予測も例の大黒斑から太陽の中に 潜っていった連中の話から、事象の一側面に過ぎな いことがわかった」 「フェドーラと太陽空洞世界ね。彼女がなにを言っ たってのよ」  ご機嫌斜め状態のエレナに諭すようにゆっくりと、 和田信宏が口を開く。 「彼女が語ったのは、情報世界の存在と、コギトン の存在さ。私達にはまさに未知の世界だったんだが、 今では誰でも知ってるか? そこでの太陽、まあ、 人間にとっては一番意識しやすい対象なんだろうな、 それにコギトンが凝集して、現在の状況になってる って話しさ」 「だから、なんでそこで太陽の質量が増大するのよ!  訳判んないじゃない!」 「コギトンの凝集は、凝集した対象の物理法則を不 安定化させるって説が、現在有力ね。さっき話して いた空間の歪みも、実際はこれだったみたいだし。 コギトンの凝集によって、太陽空間内の物理法則に 狂いが生じ、核融合反応が異常に促進されたって訳 よ」  同じように研究区で太陽の観測データを分析して いた吉野琴子が、二人の会話に口を挟む。 「まあ、そう言われてるだけだけどね。コギトン一 つに関しても諸説が入り乱れているし、情報世界に 関してもいろんな学説が出てるわよ」 「学説ではなく、仮説だって。まともに情報世界を 観測できてないのに、学説かあ? 最近じゃ、資料 抜きの論文が流行りなのかよ」 「いっそのこと、ゴーストはいかにして生まれるか って論文でも書くか」  そんなことを話している三人を、この非常時にな にを余裕こいてるのかしらん、などと思いながらエ レナが眺める。そんな彼女のコムニーが、ぴっとメ ッセージを受信した。その内容を聞いたエレナが慌 てて部屋を飛び出していく。 「大変! 急がなくちゃ!」 『繰り返す。HMM2Sメンバー、集合。アヴァタ ーラ貸与の許可が出たぞ』      @     @     @  作戦『HMM2S』。今月バルカンで実行されよ うという超新星対策である。その作戦とは、ランバ ージャックが行っているだろうと彼らが推測してい る『考電変換』(実際上は考光変換=考子光子変換) を利用して、太陽の考子を光メモリーに蓄えようと いうものだ。 『わかっ、た。太陽の、エネルギー、を、そこ、に、 移す』 「ありがとね、ランバージャック」  そのHMM2S計画のメンバーであるプチ・フィ フスエイヂが、幼いながらもそれなりに整った顔を エングラムインターフェイスに近づけて、ランバー ジャックと話していた。内容は作戦の要とも言える ランバージャックの協力の取り付けだったが、あっ さりと言っていいほど彼は簡単に承諾してくれた。 「じゃあ、もう一つお願い! 太陽のエネルギーを 引き出して、使えるようにして欲しいんだ!」 「いや、俺達だけじゃなくて、出来れば太陽超新星 化対策で動いている全ての人たちにエネルギーを送 ってくれないか?」  HMM2S計画参加者であるフィルシード・ノア と、ラディ・ウィールドが頭をくっつけるようにし てインターフェイスに話しかける。プチが背をそら すようにして、よっと避けた。 『不可能、だ』 「「どうして!?」」  ランバージャックからの返答に二人の声が重なる。 さらに背をそらすポチ。ランバージャックからの続 く返答に、二人はあっといって黙ってしまった。 『太陽に、インターフェイス、が、ない』      @     @     @  水星ステーション“バルカン”よりも水星に近い 軌道を取っている、ハンプティ・ダンプティβ基地。 バルカンメインブリッジで、水星の影に収まってい るその基地を見ながらレイカ士道が口を開いた。 「ヴォーチャ達が死んでいないのは知ってる?」  同じくメインブリッジにいて、β基地にシルマリ リオン計画参加者の詳細な健康診断情報を持たせて 向かわせたミラン・シュナイダーが、レイカの方に ちらりと視線を走らせた後、静かに口を開いた。 「ああ」 「なぜ、分かったの?」  レイカの口にしたヴォーチャという名はシルマリ リオン計画に参加して、未帰還になった者の名前だ った。そしてヴォーチャはレイカのネイバーでもあ る。あくまで静かにミランは応じる。 「ペルセウスミラーは存在している。それだけで彼 らが生きている可能性としては十分だ」 「そう」  それだけ言って、レイカはまたディスプレイのβ 基地に視線を向ける。シルマリリオン参加者達は太 陽に飲み込まれ肉体を失ったが、情報世界からペル セウスミラーを張り続けていた。そこから彼らをサ ルベージしようという計画が、β基地やカルヴァン クルスで行われていたのだ。但し、超新星化が回避 された後で、という注釈は入ったが。 『HMM2Sで使うアヴァターラが、ビーム・アス・ ホームから回されてきたぞ』  バルカンの港湾区から連絡が入る。程なくしてデ ータを移送していたグロッシュラー・ガーネットか らも、仕事を完了した連絡が入った。      @     @     @ 「はあ」  マーキュリーステーション“バルカン”港湾区貨 物部。そこでいま、周囲に疲労した雰囲気を漂わせ ているファベル・ルグロームが、今日何度目になる か分からないため息をついていた。 「おいおい、おっさん。ため息のつき過ぎでくたば らないでくれよぉ」  成人男子の身長ほどの大きさはあるミサイルに腰 掛けながら、九坂巽がにやにや笑いながら口を開く。 さらに疲れた表情を浮かべるルグローム。 「いえ、ため息をつきたくもなりますよ。エヴァグ リーンの種は視界を離れると……」  そう言いながら目を細めて手の甲に浮かぶエング ラムを輝かせる。そうするとルグロームの痩せた体 の前に小さな光の粒───幻影樹の種子が現れ、そ れがすーっと倉庫を奥の方に進んでいって、しばら くするとふっと消えた。 「……消えてしまいます」 「仕方ねえなあ。太陽にエヴァグリーンを使うとな ると、こいつと一緒に近くまで行くしかねえか」 「……本気ですか?」 「おう、本気だぜ。九坂巽、一世一代の大奇術。必 ず抜け出して帰ってくるぜ」 「なに馬鹿なことを言っているんだ」  後ろから巽の頭を軽く小突きながら、ダグラス= 織田が話しかけてくる。後頭部を押さえながらちっ っちと指をふる。 「お代は見た後で結構だ」 「いいからそいつを貸して貰うぞ」  ダグラスが指さす先にある空のミサイルを、確認 するように指さす二人。FCで弾頭に使おうと思っ ていた反物質の供与を求めたが、不許可だったのだ。 「ランバージャックがエネルギーを移送できるよう に、エングラムインターフェイスを太陽に向かって 投下する。その入れ物として使いたい。構わないな? 」 「条件が一つ」  巽がにやりと笑いながら、本当に軽く付け加える ように言葉を付け足した。 「俺達も協力させること」      @     @     @ 「エングラムインターフェイス、投下」  水星軌道近傍。シールドを展開させたエルマー級 『銀狼』から、マウントされていたポッドが、パイ ロットである狼・シェイファーの指示のままに切り 離される。 「……嫌な色だねえ」  同乗しているキラシャンドラ・大黒が、画面に映 る毒々しい太陽を見ながら、ぽつりと呟く。だが太 陽を確認できるということは、ペルセウスミラーが 全ての電磁波をカットできていないということにな る。同時に太陽観測船でもない船が簡単に近づける ような状況でもなかった。 「どうだ、ランバージャック。うまくいきそうか?  俺としちゃ、あんまり無理して欲しくないんだが」  恋人同士であるシェイファーとキラシャンドラの 船に乗り合わせてしまった古木三郎が、まるで気を 逸らすかのようにエングラムインターフェイスに話 しかける。エングラムインターフェイスと、その動 力、それ以外はなにも収めていない耐熱ポッドが放 物線を描きながら、太陽に飲み込まれていっていた。 『エネルギー、転移、は、失敗。ペルセウス、ミラ ー、が、障害。エネルギー、転移、には、ミラー、 解除、が、必要』 「「……なっ!?」」  インターフェイスから返ってきた返答に、思わず 船内にいた三人の声が重なる。ミラーの解除とは超 新星化の再開を意味する。自分達では軽率に判断で きない問題だけに、船はバルカンに向かって舵を切 った。      @     @     @ 『うえ〜ん。重いよぅ』 「バカなこと言ってないで意識を操船に集中しな。 引っ張ってる船が回転してるんじゃないかい?」  漆黒の宇宙空間に浮かべ艦船の残骸群。先月のフ ェデレーションと機構軍との決戦時に生じた残骸か ら、作戦『HMM2S』に必要な光メモリーや資材 を回収するために行動していたのが、イリス・叉夜・ フォーチュン率いるWG『SSS』だった。 『えっ、ええ!? わ、マズイ!』  機構軍の艦船と思われる紡錘形の船体を曳航して いたラキア・嘉堂・シオウルのバンツー級が、慌て たようにワイヤーを切り離す。ゆっくりと回転しな がらバルカンに向かいだした船を見て、イリスが自 分の船の中で額を押さえた。 「このスットコドッコイ! 船を回したまま送るバ カがどこにいるかい!!」 『うえ〜ん。ごめんなさ〜い』 「姉さん。バルカンの方に連絡を入れておくよ」  イリスの船に同乗していたケイン・叉夜・フォー チュンが、その美しい表情を少しも変えずに事務的 に処理をする。ああ、頼むよ、と言いながら、半べ そを掻いているラキアの方に向き直る。 「今度、こんなマヌケをやったらクビだからね!」 『ふにぃ〜。こんなんじゃ地球のパパとママに顔向 け出来ないよ〜』 「あら? あんた、家族は地球なのかい?」 『うん。じーちゃんも地球だよ』  モニターの先のラキアの幼い顔を見ながら、一旦 開きかけた口を閉じるイリス。怪訝そうな表情を浮 かべるラキアに気付いて、イリスがモニターの向こ うにハッパをかけた。 「ほら、とっとと次に向かいな! ボヤボヤしてん じゃないよ!!」 『は〜い』  ラキアの返答と共に切れた通信画面が、自動で周 囲の映像に切り替わる。広がる、戦争の残した世界。 (……地球に住んでいる連中は、滅亡した方がいい。 この期に及んで、こんなことをするような奴らだ。 なぜ、ラキアにハッキリ言わなかったんだ? お前 の家族なんて死んだ方がいいって……)  モニターを見ながら、イリスはぼんやりと考え込 んでいた。そしてモニターに反射して映る弟のケイ ンを姿を見つけたら、自然と言葉が口から出てしま っていた。 「ケイン。わたしが死んだら悲しいかい?」 「姉さんが死んだら、私も死ぬよ」  少しの躊躇いもなく即答した弟に、そうかい、と 答えて、疲れたように座席に身を沈める。目の前の ディスプレイにはラキアの操るノーザンレインボー 号が映っている。それをじーっと見つめながら、指 で作った“銃”を画面に向けた。 「……パン」  覇気のない銃声。捕らわれかけているのを感じる。 大切な仲間と、強制する存在。この二つが一つにな った時、そのどちらを取るかは、いつか決めなけれ ばならないことだった。だが、今は─── 「……ほら、次はD35だよ! 今度はさっきみた いなヘマするんじゃないよ!!」 『は〜い! わっかりましたぁ!!』      @     @     @  ひゅーひゅーという荒い息遣いが部屋の中に響き わたっている、水星ステーション“バルカン”の医 務室。その部屋にある椅子に腰掛けている有希・マ クマクランが、その音の発生源であった。 「彼女は?」  医務室に詰めていたリチャード・ロドリゲスの小 声の問い掛けに、水無月ローズが軽くため息をつき ながら口を開いた。 「ネイバーリンクでシルマリリオンに協力しとるん や。ったく、あんまし、無茶するんやないでえ」  水無月の視線の先には、椅子にぐったりと腰掛け、 手の甲のエングラムだけが異常に輝いている有希の 姿がある。水無月に話しかけられたことに気付いて、 有希がゆっくりと目を開いた。 「……大丈夫よ。司くんが、名称不明を使ってくれ ているから、そんなに負担ではないわ……」  口を開くのもおっくうな様子で、有希が二人に話 しかける。シルマリリオン計画で太陽を包むように 展開しているペルセウスミラーを通して、有希の頭 にも今、思考は流れ込んできているのだ。太陽に向 かう、全人類の勝手な思考。それを今、有希は直接 感じているのだ。その顔色は悪いと言うよりも、白 かった。命の炎が燃え尽きた後の灰のような、肌の 白さだった。 「……ただ、抜けたところを、みんなで埋めないと いけないから。少し、静かにしていてくれると、嬉 しいな……」  そう言って、また静かに目をつむる。そして、エ ングラムは輝き続ける。      @     @     @ 「ッキショウめ! ミラーの隙間なんてねえぜ。い ったいどうすんだよ!」  バルカン港湾区。その区画に今、辺り一面に聞こ える位の大声と共に、長身の男がどかどかとやって きていた。区画の中でアヴァターラを操作していた テレーゼ・ミュンヒハウゼンが、ちらりと視線を向 けた後、口を開く。 「そうですか」 「おいおい、そうですかって、それだけかぁ? 下 手するとミラーを外すことになるんだぜ」  黒髪をうざったげに掻き上げながら、さくらがテ レーゼの返答を切り返す。太陽の超新星化を封じて いると考えられているペルセウスミラーは、同時に 各種作戦の障害になっていた。 「まだ外すと決まったわけではありませんから。そ れに他の方々の作戦もあります」  そう言いながらサルベージを行っているWG『S SS』が、作戦『HMM2S』宛に送ってよこす資 材のデータを入力していく。テレーゼは情報世界に 関するデータが回ってこなかったため、自然と一番 近い『HMM2S』に協力する形になっていた。 「ランバージャック。状況はどうなっています?」  テレーゼが大量の記憶構造物を作成するための再 構成作業に入ったアヴァターラを見ながら、エング ラムインターフェイスに話しかける。再度のインタ ーフェイス投下が行われていたはずだった。 『失敗、だ。ミラー、の、解除、が、必要なのは、 変わりない』      @     @     @ 《こじし座の情報は届いてるって》 《ちぇー》  さてこちらは情報世界。膨張する太陽に飲み込ま れて肉体を失った祀幸と条之内玲が、ネイバーリン クでいま、そんなことを話し合っていた。 《けど、ニナの奴は、元気そうでよかったぜ》 《くすっ、そうね》  この二人も『Double Earth』作戦のために、現地 であるこじし座にいる祀幸のネイバーのニナ・バー ンスタインに連絡を取っていたのだ。ニナ・バーン スタインとは祀幸の五人のネイバーの一人にして、 『Double Earth』作戦の主導者の一人である。だが、 情報の方は一足早く、同じようにネイバーリンクで 情報を送って貰った環・オーシャニックから、ヴェ ラ・ファルーカが受け取っていた。それでも念を入 れる形で渡しておいたが。 《あとは、地球を跳ばすときに、協力するだけね》 《ああ、うまくやろうぜ》      @     @     @  火星から決戦に参加するために水星圏にやってき ていたシャドウファクシ。その船はいま、太陽に近 付くために耐熱仕様に改修されている。 「君が水星方面SGの責任者だな」  そんなシャドウファクシが現在母港として運用し ているマーキュリーステーション“バルカン”の一 室。哨戒航行から帰還してきたジャネット・ハミル トンの目の前には、シャドウファクシから降りてき ていた銀髪の女性がいた。 「火星から来たミライシャ・グライフ。バルカンの 警備に関して話しがある」 「ああ、ご苦労さん」  差し出される手を握り返しながら、グライフの正 面に座っていた赤城烈にちらりと目を向ける。背も たれに大きく寄り掛かった赤城が、黙ったまま自分 のエングラムを指さした後、OKサインを出す。 「で、どんな用なんだい? バルカン内の警備は赤 城に任してあるんだが……」  ジャネットに勧められる椅子を断り、グライフが 立ったまま目の前の赤城に向かって話しを続ける。 「“会”は知ってるな。連中がこの基地を狙ってい るという情報があるからやってきた。“会”対策を 任せて貰う」 「好きにしな。言っとくが応援は出さねえからな。 お前らだけで処理しろ」 「ふん。“会”に関しては私達の方が一日の長があ る。貴様らこそ足を引っ張るなよ」  赤城の言葉に軽く鼻を鳴らしたあと、グライフが 銀髪をなびかせるように部屋からさっそうと出てい く。机の上にあったホビットからグライフの警備プ ランを呼び出したジャネットが、その端正な顔の眉 間にしわを寄せる。 「……こりゃ、少しやりすぎじゃないのかい?」 「別にいいじゃねえか。やりすぎだと思えば周りの 連中が止めんだろうし。それで奴らが納得しないん なら、オレ達が出てけばいいんだよ」 「そんなもんかね……」  赤城に任せてあることなのでジャネットはそれ以 上なにも言わずに、ホビットを操作して各種情報を 検索する。その中には現フェデレーション代表アン トニオ・ビアンキが、水星に向かうためにグワイヒ アに移乗したというものがあった。      @     @     @ 「“会”の今までのパターンからいくと、連中は必 ず狙う施設にメンバーを潜入させている。私達はそ れをあぶり出す。至極簡単なことだ」  水星ステーション、バルカンの一室。無差別破壊 集団、もしくは快楽犯罪者集団と世間一般で呼ばれ ている“会”殲滅のために集まっていた、ミライシ ャ・グライフ率いるWG“ESラストダンス”の面 々がブリーフィングを行っていた。 「奴らの十八番だな。だが今度はそれを命取りにし てやるぜえ」  上座に立つミライシャの発言に、床に座ったまま 刀の手入れをしている武神宋一郎が、不敵に笑いな がら口を開く。目の高さまで持ち上げた刀身に視線 を走らせて、上々と言わんばかりににやりと笑う。 「分かりませんよ。もしかしたら今までの犯行は、 最後の一計に全てを賭けるためのひっかけなのかも しれません」  手元のホビットを操作しながら、霧島礼が静かに 会話に口を挟む。彼の端麗な顔に花を添えているグ ラスには、ホビットの画面から反射したバルカンの システム情報が映っている。同じようにホビットを 操って霧島のサポートをしていたハインツ・カルヴ ァンが、赤毛を揺らすようにからからと笑いながら 口を開く。 「そこまで長期的なプランを狙えるような集団じゃ ないだろ。快楽犯だぜ、連中は」 「確かに考えられないことではないが、その場合で もイカれた連中を狩り出す事が出来る。バルカン防 衛という観点から見れば、何の問題ない」  部屋の上座のミライシャ・グライフが、部屋の空 気を引き締めるように静かに口を開く。阿吽(あう ん)の呼吸で繋がった全員がミライシャに視線を向 ける。正面のディスプレイにあぶり出し方が表示さ れる。徹底した身元調査、交友関係の洗い出し、メ ールの検閲、ビアンキの水星行きが決まってからの 行動記録、所持品検査、部屋捜索、ウェブシステム 監視などが列記されていく。 「プライバシーの問題は非常時ということで理解を 求めろ。ただし理解しない者は不審者として対処す る。チェックに引っかかった者や不審者はここの連 中がやってる通り、エングラムチェックしていく。 質問は?」  打ち合わせ通りの内容で、室内からはなにも声が 上がらない。それを見て、静かに頷くミライシャ。 「では、開始だ」  その後、水星SG責任者であるジャネット・ハミ ルトンの元にはミライシャ・グライフからの、発見 されたテロリストが頑迷な抵抗の末、射殺されたと いう報告が入った。リストの中に警備にいた人間の 名前を見つけ、知らずの内に溜息をつく。エングラ ムチェックは行っていたはずだった。ということは、 警備に所属してからテロに賛同したことになる。人 の心の脆さ、否、心の動きを気付いてやれなかった 自分に、もう一度溜息が出た。      @     @     @  太陽観測基地バルカン。現在この基地には、太陽 系でも最強と呼ぱれる三隻の大型反物質船のうち、 シャドウファクシ、プリジンガメンの二隻がその翼 を休めている。さらに間もなく帰還するグワイヒア を考えると、その他船舶の係留できる余地などほと んどないといってよかった。  そんな中を、一隻のアタランテが管制塔の指示に 従い、港ヘと滑り込んだ。船体にそれなりの損傷は 受けているが、足の速さには何の鈍りもない。 『元火星船籍アタランテ改ヘルメス、入港』 「ヘルメス? グング二ル、だってぇの」  港内に響くアナウンスに眉をしかめながら、アス ミ・キラーコアラが呟いた。船体の各所がア─ムで ロックされる衝撃を感じながら、管制官に向かって 問いかける。 「ビアンキ代表がこっちに向かったって聞いたが、 もう来てるのか?』 『いえ、まだ到着なさってはいません』 「……仕方ないよねえ。火星で一番足の早い船は、 このアタランテだもん」  まるで他人事のように、鈴木林がのほほんとした 口調で言った。ユーゴー・ウィゴーが露骨に怪訝な 表情を浮かべ、彼女の顔を見据える。あわてて林は ぱたぱたと片手を振った。 「ジョ一ク、ジョーク☆」 「……とにかくこの船は代表に返却する。船体の傷 もそれまでに直すのだ。それが礼儀というもの」 「結局はもう一度借りることになるだろうが、とに かくみんなは心配しなくていい。今回の責任は、こ の船の艦長である私がとる」  チャーリィ・フォックスロッ卜が、きっぱりと言 い切る。ユーゴーは複雑な表情を浮かべたままだ。 「まもなく、バル力ンスタッフによる船内チェック がある。それまでに荷物を─旦外に出せ」  てきぽきと指示を下すと、チャーリィは一同に先 立ち、港に降り立った。まずは、アタランテ無断使 用の件で指名手配となっているかもしれない自分た ちに抵抗する意志のないことを、ここのスタッフに 知らせなくては。      @     @     @ 「……えっと、帆の調子はどうなの、 エフィンジ ャーさん?」 『上々だぜ。なんたって手入れをしている奴の腕が いいからな。ガッハッハ!』  バルカン内研究区。その部屋で今、マリサ・ジェ ニエルが受信用機器の最終調整を行いながら、外で 光圧帆の整備を行っていたマリード・エフィンジャ ーに話しかけていた。正面のディスプレイには船外 作業服に身を包んで、銀色の光圧帆の上を滑るよう に進んでいる姿がある。そして、その背後の宇宙空 間には『HMM2S』作戦で使うための記憶構造物 がいくつも浮かんでいた。 『そっちこそ観測機器の改修はどうした?』 「一応、出来るだけのことはしたつもりよ」 「いえいえ、それでいいんですよ! 肩の力を抜い ていつも通りに、そう、いつも通り全力で頑張って 超新星化を阻止しましょう!」  アツシ・アダムス・アダムスキーがいつもの調子 で話しかけてくる。はあ、とこちらもまたいつもの 調子で応じるマリサ。そんな時、観測機器が一つの データを拾ったことを報せてくる。表示されたデー タは─── 「高熱源反応確認。これは……対消滅機関かしら?」 「おやおや、そうすると、ついに魔法の大鷹の到着 ですか!」  程なくして、地球圏で超新星化阻止作戦『Birth Sol』の面々などを回収してきたグワイヒアが、バ ルカンに到着した。      @     @     @  ビアンキはグワイヒアを降り、パルカンのスタッ フに案内されながら、管制室ヘ続く通路を歩いてい た。太陽に関する状況説明を受けるためである。 「火星を守りきれず、申し訳ありません」  港内で待っていたパティナ・フーリエが、彼の姿 を見るなり謝罪した。思わず苦笑するビアンキ。 「お互いの最善を尽くした結果だ。そんなに卑下す る必要はないよ.君たちの情報がなければ、あらか じめ対策を立てることも出来なかった」  パティナは軽く息をついた。ビアンキがそう答え るであろうことは、最初からわかっていたから。 「代表」  そんな彼の前に、数人の男女が歩み寄ってきた。 ピアンキの顔に、─瞬だけ驚きの色が浮かぶ。彼は しっかりと覚えていた。火星に唯一残されたアタラ ンテ改ヘルメスを無断で継続使用し、フェデレ─シ ョンを脱退すると通信で宣言した彼らの顔を。 「君は……確かチャーリィ……」 「チャーリィ・フォックスロッ卜です。無断使用の アタランテを返還に上がりました。遅れたとはいえ、 一度は交した約束です。一方的に脱退までしておい て、いまさら何をとお思いでしょうが……」  チャーリィはベレーを取ると、深く頭を下げた。 ビアンキの周りの面々に複雑な表情が浮かぶ。フォ ポスが落とされるという大事な時に持ち逃げしてお いて何を、と声には出さないが、その表情が火星の 人々の心情をありありと物語っていた。 「待ってくれ。責任は彼らに救援を依頼したこのユ 一ゴー・ウィゴーにある。彼らは自分の依頼に答え たにすぎん。罰するならば自分を罰して欲しい」  それまで無言でチャーリィの後ろに立っていた白 い制服の男が、突然彼女の前に飛ぴ出す。 「アタランテがあれば、火星の防衛にあたった人命 が救われた、とまでは思わない。だが、その死の一 端にでも責任があるのであれば、教唆の咎めは自分 が受けましよう。この人間一匹の命、どうぞご随意 に。自分が自分を許せぬのです!」  決死の表情で訴えかけるユーゴーの姿に、周りの 人間は面食らった。どうしようか、と互いに顔を見 合わせる、そんな中。 「いや、その必要はないよ。……ありがとう」  ビアンキは、彼らに対してそうロにした。いつも と変わらぬ、微笑みをたたえた表情で。その言葉が 示すことはただひとつ───『不問』という事だ。 そしてピアンキは、彼らに向かって続ける。 「まだ、言いよどんでいることがあるようだね」 「……あ」  チャ─リィはそれが図星であることに、思わず動 揺した。ペレーをぎゅっと握り締め、答える。 「実は……我々の超新星化対策作戦実行のため、も う一度アタランテ改の貸し出しをお願いしたいので す。これが作戦案で……」 「それは『HMM2S』だね? 先日アヴァターラ を貸し出した……うん、まあいいだろう」  これもあっさり、ビアンキは頷いた。呆気に取ら れた表情で、チャーリィはビアンキの顔を見る。 「おや……何か変なものが付いているのかな?」 「い、いえ」 「では、話は終わりかい。なら、これで失礼しても いいかな? 私もあまり時聞がないのでね」  チャーリィたちを残し、ビアンキはゆっくりと歩 き出した。あわててあとを追い掛けるスタッフ。 「代表、あれでよろしいのですか?」  月谷高志に訊ねられ、ピアンキはチャーリィから 手渡された計画案に目を通しながら答えた。 「この場でアタランテを返してもらっても、今は使 い道がないからね。それに彼らを処罰したからとい って、フォボスが元に戻るわけではないだろう?」 「それはそうですが……」 「あとはミスランディアとして、浮いている器材は 有効に使わなくてはならない。それだけさ」  ピアンキはそう言って、くしゃくしゃと自らの髪 をかき回した。  エリーたち一行が、約二ヶ月ぶりにピアンキと再 会したのは、その数分後の話しである。 「……自分にけじめはつけられたかい?」 「はい。ご迷惑をおかけしました」  ビアンキの短い質問に、エリーはきっぱりと答え た。ビアンキはその答えに破顔する。そして、これ からどうするつもりかと訊ねた。 「代表と同じです。自分で出来るかぎりのことをや ってみようと思います」 「そうか」  エリーは、傍らのクリス・パライ卜を見た。彼女 は、彼らの作戦に協カするのだという。頷き、ピア ンキはそこでエリーの隣に立つ男の様子がおかしい のに気が付いた。無言で、自らの手の甲に浮かぶエ ングラムを見つめている。 「どうしたんだい、彼は?」 「……エリー、私のネイパーが突然接触を断ちまし た。奴はこのパル力ンにいます。間違いなく」 「奴……テロリストか!」  バティナの言葉に、新川忠幸は頷いた。あわてて バティナは、仲間であるESチームにコムニーで連 絡を取る。そこからもたらされた情報は─── 「……代表、北港でまた不審な船が発見されたそう です。どうやらここパル力ンに、新たな侵入者がい るのは間違いありません。すでに先日の段階で、賊 に対する対処は終わったと思っていたのですが」 「そうか……では、私は早急に船に戻ったほうがい いね。情報はここでなくとも、通信を通じて受け取 ることだって出来る。本当は直接ここのスタッフと 会って話すのがペストなんだが……」 「それが妥当でしょう。悪いがあなたはこの場合、 賊にとって美味しい目標にしかならない」  ビアンキ到着に伴うテロリストの蜂起は、半ぼ予 想された事態であった。パルカン全体に緊張が走る。      @     @     @  その時水星SG責任者であるジャネット・ハミル トンは、バルカン内にある居住室で就寝中だった。 それでも緊急事態を告げる通信で叩き起こされる。 「……んー、中は赤城に任せてあるだろ。ああ、ビ アンキ代表が乗ったシャドウファクシを追って船が 出港したぁ? ったく、分かったよ。外への回線つ ないでくれ」  外での哨戒任務に就いていた小椋優子からの報告 に不機嫌そうな低い声で応じながら、ジャネットが 状況を示すディスプレイを見ながら、コムニーに向 かって口を開く。 「テロリストの目的は、バルカンの破壊と代表の身 柄の確保と見られる。各人に迎撃を求む」  通信が水星SG責任者である自分が発信者である ことをきちんと通知していることを確認し、席を立 ってカップに入れたコーヒーを持ってくる。どのみ ち今から出撃しても間に合わない。 (……どれどれ、連中の進入経路は……)  戦況を示すディスプレイの横に、港湾関係のデー タを表示させる。賊は入港したばかりで未チェック の船から、港湾区の隔壁を破壊して侵攻した模様だ った。内部を任せていた赤城が、今月は相棒抜きで 死にそうな面をしていたことを思い出す。 (……テロリズム、か)  カップから上がる湯気を吹き消しながら、ぼんや りと考え込む。テロリストは政治的、文化的背景を その活動原理におく。そういう点では真の意味での 無差別な犯行というものは、普通行われない。何ら かの目的を達する集団であるからだ。 (……こいつらは単なる顕示型犯罪者、でなければ 狂信者じゃないのかねえ)  戦況ディスプレイには、グワイヒアや各船艇が敵 船に構えるように宇宙に展開していく様子が映って いる。確かにその中で連中は目立っている。ジャネ ットの眼には、彼らはそれ、周囲に自己を認識させ るために、どの様な手段、一般的に衆目を集めやす い反社会的行動を取っている連中にしか見えなかっ た。そうでなければ狂信者ということになる。 (……だが)  だが、そのようなの反社会的な犯行は、同時に社 会に変質をもたらした。エングラムチェックという、 エングラム交感だ。何処の誰が標的になるか分から ない完全な無差別犯罪には、安全を確保したければ 周囲の人間とのエングラム交感を促進すれば良いと いうことになる。そしてそれは─── (……ピグマリオン計画)  空になったカップを机におきながら、腕組みをす るジャネット。極めて現実的な自己保護行為による エングラム交感。犯罪者達の行った行為は、いずれ エングラム交感を行うことが自然となる社会の一因 になるとも言えた。犯罪者達がなにを望んでいたか に関わらず。 『こちらは独立戦闘部隊パンデモニアム。我らにフ ェデレーションと交戦する意志なし。この場はテロ リスト迎撃に協力する』  声明と同時に、ロシア系コーカソイドの髭面が、 モニターに映し出される。機構軍残党のようだった が、画面の中の敵船を火球に変えていく。道連れ自 爆を行う可能性がある以上、攻撃に容赦はなかった。 死にたくなければ降伏するだろう。だがその兆候は なく、戦闘は完全に決着する形で終焉するように見 えた。それもすぐに。  席を立って着替えようとするジャネット。残務処 理にいかなければならない。そうしてディスプレイ を消そうとした指が迷って、画面に別の映像を呼び 出した。 (……清水義昭博士)  ジャネットの前には、ピグマリオン計画第三の方 法『情報の共有による絶対量の減少』の策定者がい た。ふと、清水博士は“全て”を知っていたのでは ないか、という考えが浮かんだ。そう、本当に“全 て”を。 (……)  恐くなった。その時、テロリスト殲滅の知らせが 入った。ディスプレイを叩き消し、振り切るように 部屋から出ていく。      @     @     @  水星ステーション“バルカン”港湾区。グワイヒ アやその護衛艦隊の入港、それにプラスして先の戦 闘での残骸の除去作業などで、目の回るぐらいの忙 しさが駆け回っている港の一角。再び貸与されたア タランテ改級の前で作戦『HMM2S』メンバーが 集まっていた。 「……やはり、無理なのか」  メンバーの前で有須川ミチルがその表情のない顔 を微かに曇らせながら、口惜しそうに言葉を漏らす。 情報世界から太陽にランバージャックを突入させよ うとしたが、ミューズ・ティンバーランドからラン バージャックとはエングラムインターフェイスであ るという指摘を受けていた。 「あまり、自分の価値観に流されない方がいいです よ」 「じゃ、じゃあ、やっぱりエングラムインターフェ イスを太陽に投下するしかないの?」  ミューズに続いて、工具を山のように詰め込んだ 上着を着ているラッカ・ローゼキが、微かにどもり ながら口を開く。一緒にいたユーゴー・ウィゴー、 うぬぬ、と腕組みしながら唸りだす。 「いや、情報世界の太陽にインターフェイスを突入 させるという手もあるぞ?」 「情報世界で、機械って動いたっけ。時間がないん だよ〜」  難しい顔をしているメンバーを尻目に、ひとりほ わーんとした雰囲気で話しに加わるのは鈴木林。エ ングラムインターフェイス自体は機械であるという ことは、厳然たる事実だった。 「……だったら投下だな。太陽に近付けば間違いな く機器は障害を起こす。それを数でカヴァーする。 太陽の膨張速度は分かっているんだ。インターフェ イスは使い捨てでいこう」 「うひょ、使い捨てじゃっくぅ」 『それで、役に立つ、のなら、構わない』  突然響いた声に、全員の視線がそちらに向く。ラ ッカのホビットのインターフェイスから、ランバー ジャックの声が響いていた。まだ幼さの残る少年が、 周りの顔色を気にしながら口を開いた。 「……あの、本人にも聞いておいた方がいいと思っ て」 『インターフェイスを、いくら、失っても、構わな い。ただ、ミラーを、解除、しなければ、エネルギ ーは、移せない。どうする、のだ?』 「……結局はそこか」  有須川がボソッと呟きながら腕を組む。超新星化 して膨張する太陽が水星まで到達するのは、約三分 と見られている。その間に全てを決しなければなら ないのだ。      @     @     @ 『おいおい、いったいどうなってんだ』  水星軌道近傍。漆黒の宇宙空間に浮かぶ、WG『 SSS』から送られてきた艦船の残骸に、出来たば かりの光式記憶装置をそこに収めるために船外作業 を行っていた神道寺龍威が、素っ頓狂な声をあげて いた。 『ねえねえ、どうかしたの? 早くしないと真理ち ゃんに怒られちゃうよ』 『……別に怒らないわよ。真面目にやっている限り はね。それよりどうかしたの?』  蒼空寺真理の所有するエルマー級こうもりねこ号 から、織田愛美が、続けてパイロットでもある真理 が、動きを止めた神道寺を気遣って声を掛ける。神 道寺がバルカン近海にあるブリシンガメンの方を見 たまま、動けないでいた。 『いや、なんて言うかさ。俺、こんなとこまで来て おかしくなっちまったかな。ブリシンガメンがバカ でっかい樹になってるんだ』 『『はい?』』  変に落ち着き払った調子で続く神道寺の言葉に、 こうもり号船内の愛美と真理の声が重なる。それで もすぐさま索敵系の表示を確認する真理。確かに先 ほどまで存在していたブリシンガメンが、今では探 知できない。愛美が通信回線を開いて、二言三言ど こかとやり取りしている。 『バルカンに確認したよ。なんでもエヴァグリーン を使ってブリシンガメンごと情報世界にいって、そ こで超新星化対策を実行するんだって』 『こちらからは見えないわね。幻影樹は直視じゃな いと見えないのかしら。さあ、わかった、神道寺さ ん? 作業を続けましょ』 『……』 『あれれ、神道寺ちゃん。また動きが止まっちゃっ たよ』 『……いや、なんていうかさ。太陽に向かって、グ ワイヒアの方から鳩が飛んでいったんだよ。しかも、 たっくさん。ここ、宇宙だったよな』      @     @     @  グワイヒアから飛び立った鳩はヴァンダーベッケ ンの幻の鳥マーサ、つまりは滅んだはずのリョコウ バトだった。超新星化阻止作戦『Birth Sol』のた めに幻影樹の種子を携えて太陽に向かったが、こち らも太陽を包むペルセウスミラーに種子を弾かれた。 「ペルセウスミラーを解除するしかありません」  マーキュリーステーション“バルカン”医務室。 そこで今エルフリーデ・ヴェレンが、現在太陽を押 さえ込んでいるペルセウスミラーをどうするかとい うことを話していた。ちなみにこの部屋が選ばれた のは、情報世界でペルセウスミラーを張り続けてい るシルマリリオン計画参加者のネイバーがいる有希・ マクマクランがいたためだった。 「グワイヒアに同乗している『Birth Sol』の方か らも、同様の意見が出されていた。『HMM2S』 としてもミラーの解除は賛成だ。どのみちこのまま では時間切れになる」  大型のフラットタイプサングラスにより表情がよ く読めない有須川ミチルが、感情を感じさせない声 で静かに口を開く。それを椅子に座りながら聞いて いた有希・マクマクランが、瞳を閉じたままゆっく りと口を開いていく。 「……構わない、といってるわ。みんな、限界みた い。解除したミラーを、今度はそのままバルカンや、 ダンプティ基地、それに船や、地球なんかに張り替 えるって言ってる……」  ペルセウスミラーを張るために活性率上昇で協力 している有希は、既に頬がこけるまで痩せ細り、話 す声はささやき声になっていた。ほとんど休みなく 協力している結果だった。フリーダに影のように寄 り添っているアレン=アラートが、そんな有希から 視線をつっと外しながら口を開いた。 「……んじゃあ、外すタイミングをどうすっかだな。 確かミラー展開者のネイバーは他にも居ただろ。そ いつらを引っ張ってきて───」  そこまでアレンが言った時だった。医務室に二つ の報せが同時に飛び込んでくる。 『ハンプティ・ダンプティβ基地にゼーゼマンが侵 攻してきました! 交戦は避けられない模様!』 『大変です! HMM2S作戦用の記憶施設が、軌 道からズレ始めました!!』      @     @     @ 「どうなっていますか?」  “バルカン”メインブリッジ。報せを受けたエル フリーデ・ヴェレンが、今その部屋に駆け込んでき ていた。開口一番状況を聞き出そうとする。 「ゼーゼマンがβ基地の取り込みを狙っているみた いなの。小惑星SGやβ基地のみんなが迎撃を…… え、リヴァイアサン・シャークも参戦してるの?」  ブリッジの警備についていた祀梅庵が、なれない 手つきでコンソールを操作しながら、フリーダに答 える。同じように駆け込んできた有須川ミチルは、 すぐさま回線を開いて外で作業している蒼空寺真理 を呼び出す。 「状況は?」 『展開させているインターフェイス投下用のポッド と、小型の記憶施設の一部が軌道から外れだしたわ。 ポッドはいま“KURONECO”ちゃんに計算し て貰って、もう一度軌道に乗せる予定……うん、計 算完了。これなら大丈夫。いまからプログラムを書 き換えるわ』 「記憶施設の方は?」 『そっちはみんなに回収して貰ってまーす。水星S Gも使っちゃった』 「構わないさ。ハッキリ言って水星SGの直接戦力 は直衛程度だ。ゼーゼマン相手には、他のSGの足 手まとい位にしかならないだろ」 『うっわ、ミチルちゃん、きっついー。あ、クーリ エちゃんが、笑ってる。その通りだって』  通信機の向こうから聞こえてくる織田愛美の弾け るような笑い声を、有須川ミチルが無表情なまま軽 く受け流す。 「原因は?」 『分からないわ、現在分析中なんだけど。これとい って大きな外的要因はないし……』 『それは、僕の、せいだ』  エングラムインターフェイスが光ると同時に、ラ ンバージャックの声が響く。いつもは無表情な有須 川の顔の眉間に、微かにしわが寄る。 「まさか……」 『因果力、が、大きくなりすぎた。インターフェイ スが、太陽に、引かれ、始めている』 「……そんな」 『だが、心配、しなくていい。抵抗力を、上げた。 これで、問題は、ない』 「そうではなくて!」  珍しく有須川の声が大きくなっている。微かに逡 巡した後、思い切ったように口を開く。 「……あなたは、それでいいのか? どうしてそこ まで僕たちのために力を貸してくれる?」  微かな沈黙の後、インターフェイスから光が溢れ て、しばし後、鉄色の髪を持つ少年の姿を形作る。 その瞳が、まっすぐに、サングラスの奥のミチルの 瞳に、向けられる。何の表情も見えなかった。だが ミチルは、不思議と、暖かな心を感じた。やわらか くて、ふっくらとした心のかたち。それが感じられ る。そして、ゆっくりとランバージャックの唇が言 葉を刻む。 『僕は、人と、歩むと、決めた、から』      @     @     @ 「索敵の小椋機から入電だ! 所属不明機がバルカ ンへの接近コースを取ってるぞ!!」 「この期に及んで、お暇な人もいるのね」  水星ステーション“バルカン”研究区の一室。出 来うる限りの放送機材が詰め込んであるその部屋で、 周辺宙域の哨戒を行っていた小椋優子からの通信を、 フェルディナント・フォスターが捕らえていた。そ れに対して、カジオカアキラがため息と共に合いの 手を入れる。 「対応はどうなってる? シャドウファクシは武装 を外してるし、グワイヒアも満足に動けるだけの補 給をされていないだろ」  機器を操作しながら滝田渉が口を開く。その部屋 の中の放送機材の一つが、地球の異変の様子を流し ている。 「大丈夫のようだ。小椋のグループだけで対処でき るって言ってる───お、ついに『Double Earth』 のスタートか!」  『Double Earth』作戦。ピュリア・ウル・リーフ、 リンダ・イフェア、さらにはニナ・バーンスタイン の三人が主導して進めている、地球を丸ごと情報化 してこじし座に転移させようという壮大な作戦だ。 それがついに始まったのだ!      @     @     @  宇宙空間に、さまざまな形の『HMM2S』作戦 用記憶装置を収めた廃船や構造物が浮かんでいる。 その膨大な数の構造物群をバルカンメインブリッジ のディスプレイで眺めながら、『HMM2S』メン バーは動き出した。 「イ、インターフェイス、投下するよ」  ラッカ・ローゼキが微かにかすれた声で、ネイバ ーを通して送られてくるミラー解除のタイミングに 合わせるように、インターフェイスを太陽に向かっ て投下するよう指示を出した。次々とタイミングを 調整しながら、ポッドが放物線を描きながら太陽に 向かって沈んでいく。 『また、鳩が見えるぜ』  今、この瞬間でも記憶装置を製造している神道寺 龍威が、ちょうどまた外にいたのだろう、そんな報 告をしてきた。グワイヒアで行われている『Birth Sol』作戦であろう。 『あっちの戦闘も続いてるぜ。しっかし、ゼーゼマ ンの野郎もタフだな』  蒼空寺真理のこうもりねこ号に同乗していたニコ ラス・ポーターが、β基地を巡る戦闘を見ながらそ う呟いた。既にペルセウスミラーを解除する段階ま できていたが、ゼーゼマンと小惑星SGを中心とす る戦いは集結していなかった。だがミラー展開の限 界を考えれば、解除を先延ばしにするわけにもいか なかった。 「……ランバージャック」  有須川ミチルが、静かな声でエングラムインター フェイスに呼びかける。それに応えて、いつもと同 じように鉄色の髪を持つ少年が現れた。 『始める、ようだね』 「ええ、“未来”を救うためにあなたの力を貸して」 『分かって、いる』  そう言いながら静かに目をつむり、コンソールに 腰掛ける不思議な少年。今この瞬間でも、己を太陽 に引き寄せる強大な因果力と戦っているはずだった。 それでも、それを少しも感じさせない。ただ静かに、 “その”時を待つ。  メインブリッジ正面にあるディスプレイに、ペル セウスミラー解除までのカウントダウンが表示され る。      @     @     @ 『きっとかなうよ、あきらめなければきっと。そし て、かなえば次の夢はすぐ見つかるはずさ』  ディスプレイには映画『彗星動乱』が映っている。 場面は主人公達の回想シーンで、マイケル・ラウル が話していた。そして彼がコンソールを操作すると、 フェイドラが現れる。 「……いい話ですね」  自前の放送設備でこじし座に人々の意識を向けさ せようとしていた仙道星彦が、ついつい画面に見入 っている。場面は進み、画面の中でマイケルの手の エングラムがやわらかな青い光をたたえている。 『このたくさんの星は、みんなが共有する宝物だよ。 そう、みんな。フェデレーションだけでなく、開発 機構だけでなく、みんなが踏み出していくんだ、こ の宇宙にね』 「お?」  同じようにウェブで全人類の協調を訴えていたホ セ・ロマリオ・アルマディエが、あさっての方向を 見ながら首を傾げる。どこかから、穏やかで優しく、 それでいて揺るぎない想いが、伝わってきたのだ。  画面の中で映画は進んでいく。だがそんな画面の 端では、ミラー解除までのカウントダウンが音もな く刻まれていた。      @     @     @  ───ゼロ  その瞬間、ネイバーによってタイミングを合わさ れ、情報世界でペルセウスミラーが解除される。同 時に再度膨張し始める太陽。すぐさまミラーは水星 軌道にあるすべての施設・艦船、金星、地球ー月系、 L4、L5コロニーに張り替えられる。太陽からこ れらの施設と人を守るため。だが─── 「グワイヒアから入電よ! 『Birth Sol』作戦、 太陽の膨張速度が早すぎて、情報化が間に合わない って言ってるわ!」  バルカンのブリッジに、アスミ・カノトの悲鳴の ような報告が響きわたる。画面に映る太陽は、先月 と同じように爆発的な速度で巨大化していっている。 次々と飲み込まれていくランバージャックインター フェイス。 『ミチルさん、駄目だ! 記憶装置がもう一杯にな っちまう!』  記憶装置を積んだ廃船に移乗していた久遠悠弥か ら、思わず耳を疑ってしまうような報告が入る。有 須川ミチルが、そのサングラスに覆われた顔をディ スプレイに向けると、まだ再超新星化から三十秒も 経っていない。 「ミ、ミシュ!? インターフェイスが!!」  有須川ミチルの袖を引きながら、ラッカ・ローゼ キが指さす先には、今にも燃え上がらんばかりに白 熱しているエングラムインターフェイスがある。そ こからぼやけた姿が現れるのと、蒼空寺真理の悲鳴 混じりの報告が入ったのは同時だった。 『もう限界よ! 一部の記憶装置が壊れていってる わ!!』 『これ、以上、は、不可能、だ。残り、の、エネル ギー、は、太陽系外、に、転移させる』 「……そんなことが出来るのか、ジャック?」  自分の声が微かに震えていることを感じるミチル。 ランバージャックの様子は変だった。背中を汗が流 れる感覚。 『僕が、知性体、として、の、存在を、放棄し、因 果力、を、弱める。それで、太陽系外、の、インタ ーフェイス、に、エネルギー、を、送れる』 「───!」  思わず言葉につまるミチル。だが膨張する太陽を 止めるために、ランバージャックはためらわなかっ た。ミチルが言葉を紡ぎ出すよりも前に、ランバー ジャックの声が響く。 『あちら、で、準備、が、出来た。エネルギー、を、 転移、する』 「ジャ……」  有須川ミチルのかすれながらの声に、一瞬だけラ ンバージャックの動きが止まったようだった。だが すぐに、消えて無くなる。 「ジャャャャャャャャャャック!!」      @     @     @ 《『星空はどこまでも広がっていく。望めばどこま でも進んでいける』》  映画『彗星動乱』が、目の前に“見えて”いる。 水星ステーション“バルカン”の内部。既に達観し てしまったように膨張する太陽を見ていたデイシス・ カートミルの頭に今、ネイバーの誰かが見ている映 画が映し出されていた。それと同時に流れ込んでく る意思、感情! ネイバーリンクがどんどん繋がっ ていっているのが分かるのだ!   頭の中の画面には、マイケルの言葉を聞きながら、 フェリックス達は頭上に瞬く星々を見上げていた。 太陽系の中の地球がクローズアップされる。月を伴 って大きな弧を描き、恒星の周囲を回る。太陽によ く似た星。やがて、その恒星の向こう側からもう一 つの星があらわれる。それは地球と同じ軌道を辿り ながら後を追うように回る。水をたたえ青く光る星。 恒星の周りを、二つの青き惑星が同じ円を描いて回 る。 (……なんて綺麗な)  自分の宇宙船に乗り太陽に飛び込もうとしていた 雨宮二葉の頭にも、『彗星動乱』が流れ続ける。知 らずの内に流れる涙。ネイバーでつながった隣人が、 心配する意識を向けていることが分かる。さらに心 が揺れて、想いが形になって頬を伝う。 《『ケンタウリ座α星、バーナード星とかが、僕達 が最初に目指す星だね。そして、その中にはこんな ふうに』  マイケルが頭上の天体を指し示す。 『太陽によく似た星もあるはずだよ』 『この星は……?』 『こじし座20番星です』  フェリックスの問いにフェイドラが答えた。 『目指す、未来の、一つ』》  ネイバーに繋がって見ている者の目の前で、二つ の水をたたえる惑星はゆっくりと回る。星の光がそ れを照らし出す。そのイメージを補うように、情報 はエングラムを伝わっていく。その数字の意味など わからなくても、それは二つの星を形づけていく。  ビーズ・ブレスベイは歌をうたっていた。ネイバ ーによって感じられる心を受けて、己が感じるまま の想いを調べに乗せて、始まりの楽器を奏でていた。 頭の中に響く意志は、全ての人が、気高く強い意志 を持っているわけではなかった。中には、汚濁、反 感、狂気などが混じっている。だが、そんな心の中 にも、仕方がねえなあ、と感じながらも、全ての発 現者がひとつとなっていっていた。  頭の中の映像が、再びモニターの中で、フェリッ クスの声が響く。 《『……思えばきっと飛んでいけるんだ、この星ま で。そして、この星の向こうまで』  その言葉をマイケルが継いだ。 『そう、どこまでも、ね。この太陽系からさらに先 に、歩いていくんだ。さあ、何を持っていこう? 大切な人と歩む未来、目指す夢。誰もが進める道が あるんだ、この星空に無限に。可能性と出会い、す べてが待っているんだ。歩いていこう、ろうそくを 灯して』》      @     @     @  膨張する太陽はあっさりするほど簡単に、水星軌 道を飲み込んだ。超新星化のエネルギーの一部は『 HMM2S』とランバージャックにより、太陽系外 に放出されていたはずだった。現にそれは太陽系を 輪状に取り囲み、カイパーペルトの星間物質を蒸発 させながら太陽系外へと拡散していっている。だが その力は今、水星自体をいとも簡単に蒸発させてし まっていた。 「……大丈夫ですか」  マーキュリーステーション“バルカン”メインブ リッジ。エルフリーダ・ヴェレンが、今では全発現 者がリンクしているように感じられるネイバー網に 対して心配げに問い掛けている。ネイバーリンクの 先から、心配するんじゃないよ、という声が返って くる。膨張する太陽からバルカンやグワイヒア、β 基地やシャドウファクシ、SG艦隊などを守ってい るシルマリリオンメンバーだ。 「凄いわ……」  オーディン・ゴールドマンが、今では太陽の膨張 範囲と各惑星軌道を表示させているディスプレイを 見ながらも、地球で展開されている『Double Earth』 を“見る”。幾重にも折り重なるように見える映像 の中から、星空を背景にして浮かぶ惑星サイズの常 緑樹を意識していく。なぜなら、これこそ地球なの だ! 今、ゴールドマンが見ている常緑樹こそ、全 人類規模で上昇している活性率を背景にして情報化 した地球だ。 「……どうして、跳ばねえ?」  アレン=アラートが訝しげな声をあげる。地球は エヴァグリーンで情報化されていた。だがこじし座 に向かって跳ばない。疑問の答えはネイバーリンク の先から聞こえてきた。 《……非発現者がネックになって跳躍できない。彼 らを“世界樹”から切り離せば、今すぐにでも跳べ るんだが。ただ、そうすると彼らは……》 「やめてくれ! 地球には非発現者の孫がいるんだ! 」  祇園・ヴィミー・かしすが、慌てたように叫ぶ。 地球に非発現者の家族や友人がいる者が、それぞれ 揺れている。37億6千万人と言われている地球上 の非発現者。彼らを切り捨てれば、残りの人類は助 かるのだ。  ネイバーリンクで動揺している者たちを感じたレ イ・キャストラルが、ぼそりと呟く。 「……まずいな、せっかく意志がひとつになったの に。ぐずぐずしていると、またバラバラになるぞ」  その声が聞こえたのか、聞こえなかったのか、結 論は『Double Earth』作戦のリーダーであるリンダ・ イフェアが下した。  ───みんなで助かろう  迷いを断ち切り、まるで白銀のような気高さで、 選ばれた者だけの脱出を断固拒否するリンダ。それ が思いとなって、ネイバーリンクを伝わってくる。 だが、同時にこの瞬間『Double Earth』作戦が失敗 することは確定してしまった。  正面に映るディスプレイの金星軌道が、太陽に飲 み込まれる。      @     @     @  張りつめられた糸が悲鳴をあげ、切れようとして いた。  地球はついに完全なる情報化を果たした。  残るは、こじし座への転移を待つばかり。  だが地球は、いまだ世界樹の姿をとって、その軌 道を周りつづけていた。  超新星が放った死の光は、すでに金星を飲み込み 地球へとせまっている。  情報世界に浮かび、つながれた何十億もの意識。 そのすべてが、ただ一点へと向けられていた。  ヴァンダーベッケンの甲板の上で、地球そのもの の舵をとる少女、リンダ=イフェアへ。  血を吐く叫び。 《───ごめんなさい、ごめんなさいっ!  ───私は、私にはどうしても、37億の人々を見 捨てるなんてことできない、できないよッ!》  『Double Earth』に参じたすべての者へ、こじし 座と地球を結ぶネイバーたちへ、その悲愴な決意が 染みわたった。  数えきれない疑念の矢が彼女を射る。  リンダはそのすべてから逃れず、みずからむきだ しにした心で受けとめた。 《それでも、私はみんなで助かりたい。  みんなと生きていきたい!》  救いあらば、張り裂けよ我が心と、慟哭にむせぶ リンダ。  オペレーション『Double Earth』は静止した。  そののちに控える『ノア』も、ほんのわずかな時 間、地球を生き延びさせるにすぎない。  やがて超新星は、銀河系全体の恒星が一時にうみ だすよりも大きなエネルギーを爆散させ、太陽系を 死と熱の海へと変える。  あらゆる策が徒労に終わった。  人類の終末を指す時計の針は、残り二分を切って いた。  37億の非発現者は、情報世界に光を見いだすこと ができず、ただとまどう。  やがて戸惑いのさざなみは恐慌の津波となり、か ろうじて拮抗していたバランスを押し崩し、惑星地 球を物理世界へと引き戻すだろう。ヴァンダーベッ ケンが、その彷徨の果てに砂漠に現れた時のように。  その瞬間、神の最後の慈悲ともいえる一瞬の死が 人類を見舞うのだ。  ざわざわとエングラムをはしる悪寒。否応なく伝 わる恐慌の予感が、いまや発現者たちをも素早く確 実に覆い尽くそうとしている。  審判の時。 《……“絶望”、ですか》  風が吹いた。  星の光を受けて舞う海鳥。  頬を、翼を撫でゆく星風の感触。  問いを発したのは、バルカンの整備士エルフリー デ・ヴェレン。 《絶望───そんな悲しいものが、何万年もかけて たどり着いたあたしたちの答えなんですか。  違うと思う。  あたしたちは生きてる。シルマリリオンのみんな だって、まだ生きています。時間はあります。最後 の一秒だって、あたしたちには何かできることが、 きっとあるはずです!  あたしたち人間は、いつかきっと死にます。それ でも人間は生きようとする、なぜですか?  そんなことは誰だって知っているはずです。人間 らしく生きることに、大好きな人たちと一緒に時を 過ごすことに、意味があるから!  だから、だからッ、あきらめないでください!》  ネットワークを吹き渡る風が、暗雲を切り裂き、 果てのない蒼穹で満たしていく。  訪れる静寂。  物理世界においてほんの一秒。  やがて、呼応して新たな声があがる。  澄み切った水面を伝わる波紋のように。 《───そうね。今、この時間を無為に過ごせば、 結局、人類は存在しなかったも同然といえるでしょ う。数刻後に己が死ぬのだとしても、そんな屈辱を 受けるくらいなら“死んだほうがまし”》  同バルカン、テレーゼ・ミュンヒハウゼン。 《───提案があります。結局のところ、最後まで 言葉をもてあそぶことしかできなかったわたくしを 許してください。  すなわち、呼び起こされた想念───コギトンの 凝集が“ありえない転移”を呼び起こし、エングラ ムの交感が、こうして地球と水星をも光の速度を超 えてむすびつけるというのなら、“時間”という我 々にとって絶対の規範すら、揺るがすことができる のではなくて?  現に、鏡の盾を張り、超新星と化した太陽をも防 ぎとめた人々は、直感的にそれを感じ、行っている。 わたくしたちは、ありえたかもしれない未来、いい え、絶対にありえない未来さえも、“ここ”へ引き 寄せ、超新星爆発による破局という、最悪の事態を 避けることが出来るのでは───?》  返答は即座にあった。 《同意する───『スクルド』『スルト』のユリウ ス・フォン・シュテルナーだ。俺達にはもはや、シ ルマリルもイカロスも残されていない。そそぐべき “力”がない。  しかし、望みはある。今、はっきりわかった。俺 が地球で行った愚かな行為が、ラクダの背に載せた 最後のワラの一本であり、その背骨を砕いたのだ。 俺が超新星化を招いた。すまない、謝罪する暇が今 はない。だが俺は、失敗から一つの確証を得た。  超新星化を起こす“力”ならば、元へと戻すこと もできる。今、この時なら、すべての人に伝えるこ とができる。いまこそ再び、人々の想いの矢を、荒 くれる太陽へと射かける時だ》 《『Birth Sol』今岡形よ。誰が悪いってんじゃな いわ。いずれ起きたことだもの───だけど、それ はある意味、太陽を根本から作りかえ、新たな太陽 を産み出すということね。でもね、『エヴァグリー ン』では間に合わなかった。すでに超新星化は起き て、光の速さで広がっている。  エングラム技能という手段もなく、ただ漠然と意 志を結ぶだけでは駄目よ! それでは何も変わらな いわ。同じことの繰り返しになるだけ!》 《“力”の焦点を結ぶ“対称”を求めればいい。太 陽ではない、新しい対称を。その力点こそが“力” を振るうだろう───失礼、L5『ディゾナンス』 未岡さとりだ。  我々は、もうその対称を選んでいる。口にする必 要はないね。そう、みんなわかっているんだ。この 想いを託すべき相手を。  ここに一人のエングラム研究者として、新しい概 念を提示したい。今、僕たちは史上最も強いネイバ ーリンクで結ばれている。僕たちの意志が一つとな り、精神の振幅が揃った時に発せられるコギトンは、 強力な一つの波となっているだろう。  でたらめに発せられて、物理法則をかき乱す力じ ゃない。人々の“希望”を現実のものにする、とて も純粋な力だ!   直感的に置き換えられる言葉がある。そう。  レーザーだ。コギトンレーザーだ!》  未岡のエングラムを通して、明解なビジョンが伝 わった。幾重にも連なった意識の波が集束し、まば ゆい一筋の光となる。  すべての人々は、意識を一つに揃えるべく、祈り、 願った。  莫大なコギトンの奔流は、おのずとその対称へと 集う。  今を生き、最も多くの人の心に残ったであろう、 その少女のもとへ。      @     @     @  月面ディアナドームでその時を迎えた、『彗星動 乱』フェイドラ役のピュリア・ウル・リーフは、自 分の髪が、指先が、その身体のすべてが、神秘的な 光を散らしていることに気づき、驚嘆した。 「わたし、わたしが───?」  戸惑いを隠せないピュリアを、一層の光芒が包み こむ。監督やスタッフたちが目を見張るなか、爆発 とともに彼女の姿はかき消え、次の瞬間、水星“バ ルカン”へと現れた。  ───張り巡らされたペルセウスミラーをも貫い て。  バルカンのテラスは、もうひとつの超新星が生ま れたかのように明るさを増した。  現れたピュリアは、竜巻に翻弄されるかのように 舞い、輝く髪を高く巻きあげる。  激しく励起したエングラムを見つめるピュリア。 《わたしがこの、力を、振るう、  太陽を生まれ変わらせる、  誰も死なせない、  残されたわずかな時間、  わたしにできること────》  何十億もの人々が寄り添い、優しく、力強く語り かける様がありありと感じられた。  かぼそい指をにぎり、励まそうとしていた。  活性率は五千億をかるく超える。 《そう、わかる、  わたしが、わたししか出来ないこと、  ───でも───でも────怖い────!》  よぎる迷いに、エングラムの輪郭がぶれる。  ピュリアを起点に、暗い色の水晶が爆発し結晶し た。  放射状に成長する結晶は、バルカンすべてを覆い 尽くし、なおも勢いを止めない。 《ああ……ああ……ああ……!》  どうにもならぬまま、ピュリアは、押しつぶされ そうな不安と苦しみを、周囲へと巻き散らした。  反響しあいながら拡散する苦悶が、ネットワーク を壊れんばかりに揺さぶる。  殴りつけるような思考が彼女をとらえた。 《なんて下手くそなの!  力を貸すわ。しっかり!》  よわさと、強さの双方がないまぜになった思考が、 ピュリアにささやきかけた。  ささやきは、彼女に一つのビジョンを与える。  ピュリアは汗を浮かべながらも、暴走する結晶を、 必死に引き戻した。  きん、と音を立てて、結晶は一つにまとまった。  結晶はわすかに離れて宙に浮き、ピュリア自身の エングラムと寸分の狂いもなく共振している。  共振───レゾナンス!  揺れうごくピュリアの瞳に、凛と、光がともった。  瞳には、煌々ときらめく、一振りの大剣が映って いた。彼女の背丈ほどもある、エングラムの剣だ。  具象化されたコギトンレーザー。  運命の糸を断ち切ろうとする、人間のつるぎ。  彼女は、いまや完全にコギトンの流れを掌握し、 制御していた。 《ありがとう、みんな》  残された時間はわずかだった。  ピュリア・ウル・リーフは、あふれる想いと感謝 を、たった一つの言葉に込めて、太陽へと飛んだ。 《マム!》  叫びを発したのは『シルマリリオン』征矢司。 《もうミラーはいらねえ。必要なのは俺たちじゃな い!》  寡黙をまもっていた『シルマリリオン』アネット・ バコは、その思考をネットワークへと投じた。 《……アレをやる気かい。もうあとは無いんだよ。 地球をまもる盾はなくなるんだ》 《できるよ! もう、一回やっていることだもん。 みんなの力を合わせれば、きっと出来る!》  おなじく『シルマリリオン』の望月付足〜プラス 〜が請け合う。  その明るさにあきれかえるアネットから、ほっと する気持ちと、押し隠しながらもわかる誇らしい感 情が彼らに伝わってきた。 《わかった。シルマリリオンの総仕上げだ。抜かり なくいくよ!》  アネットの号令に『シルマリリオン』のペルセウ スミラー展開者、ネイバー、すべてのメンバーたち が口々に返事を返した。  それは9月12日に彼らの起こした奇跡の再現だっ た。  ミラーを構成する彼らの思念は、光速で膨張する 太陽を追い越して進行し、その衝撃波を無効化した。 蒸発途中の物質を燃やし尽くした。生命の驚異とな る電磁波を、無害なレベルになるまで吸収した。  あとは、猛々しい反応をつづける太陽を、生まれ 変わらせるのみ。  『シルマリリオン』『ノア』の蜜子・G・グラン ディには、それまでミラーを満たしていた力が、急 速に衰えていくのがわかった。  そこに残ったわずかな力と、彼らの獲得したミラ ーを操る知識とを一つに集束させると、絶え間ない コギトンの流れの示す先へ、そっと贈りだした。  きらめくミラーを見送りながら蜜子はつぶやく。 《……あの時、私たちには、剣が無かった。  人々が未来を求める意志こそが欠けていた。  ピュリアさん、今、あなたには盾がない。  ゴルゴーンの巣へ赴くあなたを、わたし達が護り ます。どうか受けとってください…………》      @     @     @  荒れ狂う太陽へと飛び込んだ、ピュリア・ウル・ リーフ。  因果力=ラプラビリティをも断ち切る剣を手にし た彼女を待ちかまえていたのは、まったく予想もつ かぬ光景だった。  かつてなきほど活性化したエングラムを通して、 彼女には過去と未来が同時に見渡せた。  彼女の瞳が見通す太陽は、過去から未来へと連綿 と続く光の柱であり、あくまでも貪欲に、地球を、 太陽系を飲み込もうとする暴竜だった。  その竜と、自分が、互いに強くひきつけられてい ることもわかる。 《望むところ》  さらに接近して臨む竜は、うねりたくる無数の竜 の塊であり、際限なくつづく循環と回帰に彩られた、 揺るぎなき運命の象徴だった。  ピュリアは、それらすべてが太陽系の崩壊へとつ ながる“運命の糸そのもの”なのだと悟った。  彼女に躍りかかり、運命のあぎとを突き立てんと する竜を、ピュリアは一閃した。  彼女に応え、剣は、自在に縦横にひらめく。  竜の鎌首は、その斬り口から爆発的な光をともな い四散していく。  されども竜はきりなく現れる。  どれだけのあいだ、彼女は死闘を演じていたこと だろう。  いつしか星は、輝きをやめ、挑む相手は、全き闇 の竜と化していた。  雄々しく剣を振るいながらも、ピュリアは身震い した。恐ろしいまでの喪失感。 《───美萌ちゃん! ザインさん! 光さん!  西条さん! みどりちゃん!》  彼女の心から、すっぽりと何かが抜け落ちていく。 《アトラスさん! 監督! ナディア! フェイド ラ! わたしの、わたしの大事な人たち! ああっ、 もう顔も……思い出せないっ》  それは彼女の大切な想い出。  自ら断ち切っていく竜の首とともに、ピュリア自 身のラプラビティまでもが消失していくのだ。 《わたしは───わたしは、時間を逆行している─ ──》  彼女は過去を観ているのではない。  運命をほどき進むことで、彼女自身が過去へと向 かっているのだ。  でなければ運命を変えることはできない。  その代償が、こんなにも大きいものだとは。  彼女は衝撃に打たれた。  絡まり合ったすべてのラプラビティを切りひらき、 目指す地へと辿り着いたとしても、自分はもはや自 分ではない。ましてや、自分を憶えているものなど、 誰もおりはしないのだ。  力なく剣を降ろし、両手で顔を覆う、ピュリア。 《……ゆかりちゃん……ゆかり…………もう、ネイ バーのあなたにも、届かないなんて…………》  呆然と漂う彼女を、竜の吐く黒い炎がなめた。  小枝のように突きとばされるピュリア。  彼女がその歩みをとめれば、また次々と竜は蘇り、 破滅の未来へと突き進む。  風化する心に、ただ、剣の輝きだけが止まるなと 訴える。 《駄目……これ以上は、進めない……》  無限の孤独に包まれたピュリアは、我が身を抱き、 ほんのわずかな喪失の念にすらすがった。  竜達は次々と喰らいつき、絶望の淵へとピュリア をひきずりこむ。  猛然と勢いを盛り返した竜が屠るたび、ピュリア のまとう輝きは薄れ、彼女は傷ついていった。  自分はもう、ここでおわりなんだと思った。  やっぱり、自分は星空なんか夢見ちゃいけなくて、 地球でのうのうと暮らしていればよかった。  今度みたいな、辛くて苦しいばっかりの話には関 わらないようにしているべきだった。  誰か他の人が頑張ってるのを横目で見ながら、気 まぐれに応援してみたりするのが似合っていたんだ と、そう、思った。  ───ぐい、と彼女の肩をつかむ手があった。  それは小さくて、でも暖かくて、とても懐かしい 感触の 《立て! 剣をとれ! ピュリア!》  らんらんと輝くとび色の瞳が、彼女の肩を掴んで 言った。 《……リンダ! ニナ! どうして!?》 《あなたの呼ぶ声が聞こえた》  間違いなくリンダ・イフェアだった。  ニナ・バーンスタインは無言で、三人の前にミラ ーをかざし、迫る竜の牙をしりぞけた。  リンダは地球のヴァンダーベッケンに、ニナにい たっては、こじし座で、転移してくる地球を待ち受 けていたはずだ。  それぞれが『Double Earth』を務めあげるために 散り別れたのだ。  しかし今、その手で抱きしめられる場所にいるの は、まごうことない、彼女たちだった。  リンダは、再び問いかけようとするピュリアの視 線を真っ向から受け止めた。 《拒むことも出来た、と思う。でも……》  リンダ・イフェアは、涙をこらえ、ぐっと唇を噛 みしめた。 《誓ったんだ、鷹になるって。  自分で決めて、自分の翼で飛ぶ。  あの人に、自分に、そう誓ったんだ》 《みんなで助かろう。今を生きる人たちと、みんな で生きていこう。そう決めたわよね、三人で》  いやます絶望の竜の力を、ミラーを展開する腕に 受けながらニナは言った。  少ない彼女の言葉には、震えが混じっていた。裏 切られ傷つくことを、深く怖れていた。だが、こら え、必死に奮い立とうとしている。この二人と出会 えたことを誇りに思う。あなたがいれば、私は強く なれる。だから、一歩遅れでもいい。ついていこう。 その時こそ、私は、私になれる。  ピュリアの頬に、とめどなく涙が流れ落ちた。 《……二人とも馬鹿よ……本当に、無茶苦茶なんだ から……》  最後の抱擁をほどいたのは、ピュリア自身だった。 《これ以上、過去へ戻れば、私も、ニナもリンダも、 自分を失ってしまう。  みんなの大切な人々も、消えてしまう。  誰もわたしたちの事を思い出さない。  いいえ、最初から居なかったことになるのよ。  何も、何も残らないのよ……!》  切々と、ピュリアは二人に語りかけた。 《きっと、お互いを感じることもなくなる。それが、 みんなで生きようとすることだ、って本当に言える の?》  身を削られるような沈黙の後に、  リンダが、ふっと微笑んだ。 《ねえ、ピュリア?……ニナ……? 強情だと笑っ てね……私は、まだあきらめていないんだ》  二人が息をのむ。 《───三人で考えた『Double Earth』は失敗しち ゃったけど、でもそれで終わりじゃない》  鳥のように自由に羽ばたくことを夢みた心は、   いつか、勇気ひとつを友に、    大空を目指した兄弟となり、     孤独と戦いながら大海を渡り、      音の壁を打ち破り、       夜空に瞬く一つの星に、   長き夜を越えて、小さな一歩を記した。  そして─── 《私達はまだ、ここに、こうして居るんだもの。  いつか必ず、私たちはたどりつく。  こじし座20番星へ。  もっと遠く、星の世界にだって。  絶対、絶対、絶対に飛んでみせる。  きっと、みんなにだって…………》  それ以上は、言葉にならなかった。  ピュリアの身体にまばゆい光が戻る。  リンダは、ニナの持つミラーの一つを譲り受け、 張りめぐらせる。  猛り狂う闇の暴竜とも、振りおろされる火鞭とも つかぬ太陽深部へ進むたび、三人の意識は薄れ、渾 然となった。それでも、ただ一つの想いだけを胸に、 なおも彼女らがとどまることはなかった。  剣が振るわれるたび、ミラーは輝き、大きく雄々 しいフォルムをかたちづくった。  あたかもそれは────      @     @     @  『シルマリリオン』によって無害化された超新星 の光が太陽系を駆け抜け、『HMM2S』とランバージ ャックのつくった輪状星雲を、いっそう明るく輝か せた。  太陽は生まれ変わった。  我らの主星は、その失われた質量を、時間流を調 節することによって補っていた。太陽の寿命そのも のも、おそらくは数億年単位で削られているはずだ。 しかし、太陽の反応そのものは一種の恒常性が働い ているかのように、よく安定している。不可思議な 時間流の作用については、今後の観測が待たれるこ ととなった。しかし、その基地のよりどころであっ た水星はもう無い。  ケイト・スペンサーとそのネイバー、グレイ・ス トークの守護により、九死に一生を得た金星も、そ の様相をがらりと変えていた。  エヴァグリーンによって情報化され世界樹へと変 貌した地球や月は、再び物質化し、公転軌道へと立 ち戻った。同時に未曾有の規模のエングラムコンタ クトも、終焉を告げる。  すべてが終わった時、全人類にはエングラムが発 現していた。      @     @     @ 「みんなはっ!?」  マーキュリーステーション“バルカン”医務室。 ぼやける頭をふりながら、イカロス号の機関士であ ったナターシャ・テレニコフが、ベッドに横たわっ ている有希・マクマクランに問い掛けている。有希 がネイバーであるシルマリリオン計画参加者のため に協力し続けた結果は、骨と皮だけになるほど痩せ 細り、ベッドの上の人になるというものだった。 「……」  沈黙が返ってくる。有希の顔は、心配をかけさせ ないようにと小さく笑っていた。だが、その表情の まま、人形のように黙っている。ネイバーであるシ ルマリリオン計画参加者のことに関して触れようと しない有希。ナターシャが驚きの表情を浮かべなが ら、有希の細い肩を掴んで大きく揺さぶりだした。 「まさか! 嘘よ! 嘘よね!?」 「止めなって!」  医務室に詰めていた仙道薫が、ナターシャを後ろ から羽交い締めにする。糸の切れた操り人形のよう にナターシャに揺さぶられるままにしていた有希が、 ようやくベッドの上に開放される。なにも言わずに、 表情も変えずに、捨てられたオモチャのようにベッ ドの上で横になっていた。 「……なんで、なんで、私だけのうのうと生きてい るの!」  ナターシャが床に突っ伏しながら、おうおうと泣 き始める。仙道は獣のように身を震わせるナターシ ャを見ながら、なにも言えなかった。ただ黙って視 線を外して、ベッドの上の有希を寝かせ直そうと、 その異常に軽くなった体を抱き上げる。 「………………大丈夫……よ」 「えっ」  仙道の耳元で蚊の鳴くような声がした。反射的に 上がった声に、床に突っ伏していたナターシャが涙 と鼻水でくしゃくしゃになった顔を上げる。声をあ げるのも辛そうに、だけれども、どこか嬉しそうに 言葉を続ける。 「……大丈夫。……みんな……こじし座に………… 帰ってきてる……わ…………」      @     @     @  情報世界から現実世界に帰還したリリー・ヘヴン ズフィールドは忘我の状態にあった。だが、なつか しい臭いが感じられる。そこは、自分がいる場所だ った。  同時に連なっていたネイバーたちが、ひとり、ま たひとりと離れていくのが、分かる。なにかが失わ れていく感覚。全ての人たちが手を取り合った時は、 過去のものになってきていた。 (……夢。人と人が一つに混じり合うことなく、互 いに認め、共に生きていくことの出来る世界。それ は、夢。だけど───)  不思議といまこの瞬間は、その夢はかなえられそ うな気がした。全ての人が互いに手を取り合った、 あの時を過ごすことが出来たから。  そして、その思いは病室のベッドの上でニュース を見て確信に変わった。なぜなら、いまでは全ての 人にエングラムが発現していたのだから。      @     @     @  シルマリリオン計画に参加して肉体を失っていた 者達は、ビーム・アス・ホームや、カルヴァンクル スのサルベージにより現実世界に帰還した。呼びか けるネイバーとの、精神的距離の問題から、遙かこ じし座で実体化した者もある。出現した当初は全員 心身共に極度に衰弱していたが、医療スタッフの尽 力で快方に向かっているという。  ただそうしてサルベージされた者の中には、精神 病にかかってしまった者も出ていた。過去や未来を 知りすぎてしまった者がそうだ。だが時間を掛けて 治療すれば、回復できると診断されている。 @ @ @  水星を失ったマーキュリーステーション“バルカ ン”。これから先のことを決める前に、ひとりの人 がこの地で逝った。 「……ぐ…うっ……」 「ビアンキ代表!!」  フェデレーション現代表アントニオ・ビアンキ。 彼は、護衛を装って近付いた一人の男によって暗殺 された。  享年三十四歳だった。      @     @     @  宇宙空間に浮かぶ『元』水星ステーション“バル カン”。超新星化対策が一段落し、ほとんどの船が 飛び立っていった後、この施設も太陽風に吹かれて 移動を始めていた。太陽から身を守る星がなくなっ たことで、移動しなければならなくなったのだ。 「あら?」  そのバルカンメインブリッジで、なれない手つき でオペレーターの真似事をしていた祀幸のディスプ レイに、ぴっという音と共に画像が表示される。 「なあ、この三人なんだけど、誰か知らないか?」  彼女のネイバーである条之内玲が、ホビットを手 に持ち唸りながら、幸の隣に座る。画面の中では、 三人の女性が手を取り合うようにしている姿がある。 三人はポーズを取っているわけではない。偶然、誰 かが撮ったというような画像だった。 「いえ、だれも知らないけど」 「うっわー、頼むよ。司の兄貴から、送ってやれば 喜ぶからって、配るの任されてんだよ。な、な、ホ ントに知らない?」 「……えっと、ごめんなさい。お役に立てなくて」 「ちぇー。けど誰だろ? この三人だれも知らない んだぜ」 「撮った人は?」 「吉野琴子。けど、撮ったアイツも知らないんだぜ。 あーあ、兄貴になに言われるかなあ」  玲が椅子の上であぐらを掻いて、うーん、と唸り 出す。幸が画像を見てなにか気付いたのか、玲に助 け船を出した。 「画像を撮った日は映画の人たちがいた日だから、 彼らの関係者じゃないの?」 「そっか! ナイス、幸! 連中に押し付けるわけ だな!」 「……いえ、そういう訳じゃなくて」  祀幸が、その美しい顔に苦笑いを浮かべながら、 椅子の上でぴょんと飛び跳ねた玲を見る。だが玲は、 椅子の上に立った状態のまま、じっと幸の手を見て いた。 「あのさ、エングラムがどうかしたのか?」 「えっ」  言われて幸が気付く。いつの間にか手の甲のエン グラムを、もう一つの手で撫でていた。なにかを捜 すように。 「……私のネイバーは、玲くんも含めて四人なのよ ね?」 「ああ、前にそう聞いた」 「……けど、変なの。だれか、本当にだれか大切な 人が、私の側にいてくれたような……」  そう言いながら、エングラムをのぞき込む幸。微 かな輝きを放つそこから感じられるのは、確かに四 人なのだ。昔から。 「あ」  のぞき込んでいた手が、ぐっと持ち上げられた。 椅子の上に立つ少年が、彼女の手を不器用に握りし めている。純真さが輝きとなっている瞳。 「よそうぜ。幸が四人だっていえば、四人なんだよ。 考え込んだって変わりゃしないんだ。だったら、せ めて前を向いていこうぜ」  背をぴんと伸ばし、ハッキリ喋る少年。それを見 た幸が、くすっと笑った。 「……やっぱり、男の子ね」 「そ、そ、そんなことは〜。あ、手、返しますね… …お、フリーダ! どうしたんだよ、難しい顔して! 」  顔を熟れたトマトのように真っ赤にした玲が、椅 子の上から救いを求めるように、ブリッジに入って きたエルフリーデ・ヴェレンに手を振る。それを見 て、とことこと歩いてくるおちびさん。 「……あの、実はエフィンジャーさんが、バルカン をタキオンヨットに改修しようって」 「え? それって、光速以上で運動すると言われて て───」 「───たしか確認されてない粒子だろ」  二人の言葉を聞き、こくんと頷くフリーダ。祀幸 と唖然としたように顔を見合わせた後、条之内玲が 笑い出した。心の底から。本当に、おかしそうに。 「ははは、こりゃ、いいや! 悩む暇なんかありゃ しないぜ! よっし、まずはタキオン探しだ!」